富士山

富士山  2000/08/30
第6号を何処にするか迷っていた。
候補地をザッと挙げてみたら五十箇所以上にはなる。住んでいる人々にとってみれば
何処も住めば都であるし. 自然や歴史.遺跡がそれぞれある。

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キャンピングカーでの旅は.普通の急ぎ旅とは異なり何処で泊まっても良かった。
興味を引かれる所では自由に引っ掛かっていた為に.何処も.皆,良い所の印象がある。
つまり人は慣れてしまえばどこでも住めば都に感じていくのであろう。 そこで迷っていたが.
6月末に世界遺産に登録された富士山がタイミング良く浮かび上がったという訳である。

余りにも有名.誰でも知っている山なので印象深いところのみ描いてみたい。
富士山頂へは一回だけ登った。  登山の前日.北口本宮富士浅間神社へお参りをした。

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浅間神社は全国に1300箇所もあるそうで.こんな長い名がついている。
富士吉田市にあり武田信玄等が寄進している立派な神社と聞いて.尊敬する信玄公が寄進したと
云う部分を随分時間をかけて眺め.歩いた記憶がある。

祭神は(このはなさくやひめ)で 大変美しかった為.(ににぎのみこと) の妻となり猛火の中で3人の
子を安産されたと云う.ことからモノを産み出す神.ムスビ(産霊)の神としてたくさん祭られている。
九州では宮崎の鵜戸神宮が有名。

有名な富士スカイラインを通った。吉田口から登る為である。 2300メートル.すでに天空の世界。
単独峯の為そして森林限界ギリギリなので樹木が少なく眺めは抜群。ここで一泊.明朝早出しよう。
世界遺産になる前から小さな町の様になっていたが.13年前は数件の粗末な山小屋だけであった。

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霧の中.楽しくない道.想像していた通りのきついだけの登りが続く。 日頃の行いは良いはずなのに
小雨が降ってきた。 7合目から急に山小屋が目立つ様になってきた.登山客が少ない為ホッとする。
薄い霧の中だが単独高山の周囲にさえぎるもののない不思議な雰囲気がある。
単調だがきつい登りであった。やっとの思いで頂上到着. 早速浅間神社奥宮にお参りした。

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憧れの山頂で手を合わせた途端.量子は大粒の涙と共に大きく嗚咽してしばらく止まらなかった。

理由は本人に聞いても分からない。考えられることは登山前半年位.肉離れを起こし.久しぶりの登山
だったことで感激がピークに達したのかもしれない。

もう一つの量子の好きな解釈がある。 彼女は助産婦で子育ての仕事を三十年している。だから
かどうかは定かではないが.以前から江戸の深いお付き合いをさせて頂いている.神宮の神官様
から貴女の守り神は (このはなさくやひめ) と云われていた事がある。

加えて何人かの霊を感じる人々から前世は (このはなさくやひめ) の近習や付き人だったと.
聞かされていたからかも知れない。
大変美しかったと言う祭神に本当に縁があるのならば.この上なき名誉であり自分もさしずめ

藤原鎌足の祖先位に当たるかも.などと どこの馬の骨か知れたものではないのを棚に上げ
しばしのロマンに浸ったことだった。
富士と云えば何といってもその姿の美しさであろう。 浅間神社の祭神の疑問がやっと解けた。

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富士の最も美しく見える所は何処かと言い出すと.絶対に結論が出ない程近隣から言い分が出る。
単独峯である富士山はその高さゆえ.日本では他に類のないスケールが広がる。

阿蘇山は巨大な外輪山の標高が800~900メートルあり.そのまま陥没前の高さに立ち上げる
と8000メートル以上になるといわれている。
大きく.広く瀬の本高原.九重高原を合わせた景観は北海道にも勝る広大さを感じる。
一方で冨士の頂上から裾野に至る真っ直ぐなラインは世界一と云われており.
随分昔から絵描きや写真家.風呂やに至るまでこの起伏の無い放物線を愛でている。
何と云っても他の場所を圧倒しているのはその高さである。
これだけは誰からも異論の無い日本一なのである。

海から見ても南北.中央アルプス.八ヶ岳.何処から見ても抜きん出ており. 飛行機の中でも富士山
が見えるとのアナウンスがあると皆一所懸命窓からその美しい姿を見て感動する。

昔から海外へ渡った人が明日を知れぬ状況に陥った時.ほとんどの人が富士山のある日本で
死にたいと願う.との話をたくさん聞いてきた。 要するに日本人の誇りなのであり故郷になって
いるのである。

頂上の山小屋に予約をして置いたのでそこへ入った。 雨と霧が益々激しくなってきた。
気になる天気予報を小屋の人にたずねた。 沖縄あたりに台風が近づいていると言う。
遠いからまだ大丈夫ですねと言うと. 明日はもっと激しくなると言う.疑いながらも小屋の人の話を
採用をした。 つまり. 泊まらずに下山することにしたのである。  これが大きな悔いを残した。

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翌朝.鳴沢の道の駅から見上げた富士山は.くっきりと朝日に輝くあの美しい絵の様な姿であった。
あれから小雨と霧の中を苦労して下りてきたことが.悔しかった。
そういえば小屋の住人は若すぎた。 後年のことだが民主党の政権担当が若すぎたのと同じであろう。

冨士山麓には五.六回訪れている。 富士五湖はいずれも富士山とセットで日本離れした大スケール
で何処も素晴らしいリゾート高原という雰囲気を醸しだしている。

そんな中で一箇所異なっているのが忍野八海である。 小さなしかし深そうで透明な水をたたえ
ほとんどの池が森の中に囲まれている。カフェーやレストランのイメージも中々よろしい。
森林性猿の遺伝子を強く受け継いでいると思われる自分には大変心地よい所であった。

この付近は何でも日本一をうたっているが鳴沢の道の駅には.日本一と云われる湧き水があり.
キャンピングカー仲間に冨士に行くと言うと必ずペットボトルを持ってきて.汲んできてと頼まれる。
迷惑この上ない名水である。 前述したがここからの眺めは日本一だし近くに温泉もある。

但し熊本.大分と比べると料金が五倍以上するのでどなた様も御覚悟召されたい。
此のあたりでのんびりしていると.裾野の大らかなラインが清々しく心をのびのびさせてくれる。

正反対の雰囲気の場所がすぐ近くにある。
青木が原樹海。名前だけは有名で中に入ったひとは少ない。量子は語られる物語とそのイメージ
にビクビクしていたが大丈夫と励まして散策した。

あちこちに直径数十センチ位の穴があいている.深さは数メートル。 噴火した時流れ出た溶岩が
立木を呑み込み.そのまま燃焼か炭化させた痕跡と説明されている。

溶岩の磁気が強く迷い込んだら二度と出てこれない等の話を思い出す。 なんとなく湿気が多く
溶岩と苔と原生林が果てしなく続いており.整備など望むべくもない此の道は人気がないハズ。

こんな所で腹をすかせて衰弱死を選ぶのは賢明な選択とは思えない。しかしそこまで追い込まれた
人間に正常な判断を求める外野席の批判は意味を成さないだろう.などと話す。
量子はこんな気持ちの悪い所などへは絶対に来ないから心配いらないと言っていた。

歩きにくい道なので帰りを考えたら億劫になり.あまり奥まで行かなかった。
日本一の冨士の裾野に明るさと暗さのイメージが隣合わせに同居しているのは.陰陽のバランス
を神様が考えたことなのか。

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富士登山の二日後.北岳から眺めた冨士は余りにも近く大きくナンバー2の威厳は霞んでいた。

2013/07/10  IN 熊本

2月のベビーマッサージ 楽しく終わりました

2月28日の ベビーマッサージは大勢の

お友達の参加でにぎやかに楽しく行われ

ました。

野菜スープがおいしくできました。

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8名のお友達で~あんよ~あんよ~おなか~おなか~

みんなでたのしみました。

初参加の むあちゃん 弟のおなかをマッサージ~

わたしも したいの~ みんないい顔~

では 3月におあいしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

3月のベビーマッサージのお知らせ

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3月のベビーマッサージは

期日    3月24日(火)

時間    10時~11時30分

場所    マタニティハウス

持ってくるもの バスタオル シート オイル

そろそろ春です、温泉 ハイキングはいかがですか?

霧島縦走はいつ頃楽しめる様になるのか?

霧島縦走はいつ頃楽しめる様になるのか?  2014/01/25

九州の山は本州の3.000m級の山々と較べてその山容はなだらかで柔らかい印象がある。
ほとんどが火山であることがその理由であろう。 その為に危険な刺激を求めるには少々物
足りないかも知れない。 自分もその不安を抱いた一人であった。 しかし九重の坊がつる、と
霧島縦走路を知ってから九州の山々でもある程度満足出来るようになった。

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2011/01/26 新燃岳が突然噴火を始めた。 火炎現象を伴った激しい噴火で2月には3kmの
入山規制が4kmに拡大された。 爆発的噴火もしばしば起こり火口から10kmも離れた小林市で
1~3cmの噴石が80件降ったと云う。最も遠い所では16kmのところで自動車のサンルーフが

割れたと言う。 新聞やテレビでも連日報道されたので知っている人も多いであろう。
噴石も怖いものであるが、誰にでも降りかかる火山灰の被害は甚大なものであった。
何しろ遠くまで降ってくる大量の灰は防ぎようが無く、約1年に渡って風下の住人は酷い目に

遭っていた。 こんな風に書くといかにもずっと被害に同情してきたかのように書いているが
それ程関心を払っていた訳ではない、ただ麓にある民宿、新燃荘の白濁した温泉が以前より
とても気に入っており、霧島に行けば必ず立ち寄って温泉を楽しんでいた。

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今年の春、新聞かなにかのメディアで新燃荘までの立ち入り禁止が解除されたと知り早速量子
と韓国岳へ散歩がてら登り、ついでに好きな温泉に入って来たのだった。
その時の韓国岳からの新燃岳の様子はあいにくのガスがかかっており確認できなかった。

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左上は2007年11月07日 右上は2008年10月30日  下は2013年09月27日の写真

今回の韓国頂上からは新燃岳がハッキリ確認出来た。 お鉢とほぼ同じ高さ位まで溶岩?が
盛り上がり数箇所から煙が上がっていた。 二度とあのコバルトブルーの池は見れないと
観念した。 こんな状況からみて縦走が出来るようになるのは随分先のことであろうと推察

せざるをえない。 こんな訳で韓国から元のえびの高原へ戻った。 大人しく元の登山口に戻った
のには訳がある、 霧島は1700Mの韓国岳や高千穂の嶺をはじめ7~8座の山々から成り立っ
ており、全てが火山で韓国岳のピークからは少なくとも4箇所の火口湖を眺めることが出来る。

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こんな地形であるから霧島連峰の中腹には至る所に様々な泉質の温泉が湧き出しており、その
数は素人では数え切れるものではない。 広大な裾野に無数の温泉がある中でもやはり丸尾
地区は地形が開発しやすかった為か大小数十件の温泉旅館、ホテルが集まっている。

名付けて霧島温泉郷である。 中心のあたりは土産物やレストランなどが並んでおりシーズン
には数千人の温泉客で賑わう。 しかし何と言っても800Mの高地であるから住んでいる人は
少ないはずである、ところが驚いた事に今回訪ねたところなんとコンビニのオープンに出遭った。

皆が旅館に入ってしまう夜や、寒い冬の平日のお客の数を他人事ながら心配してしまった。
こういうのを大きなお世話と言う。 韓国岳をピストン往復したのは林田温泉が目当てであった。
30~40年前、別府温泉に杉の井ホテルが巨大ホテルとして繁盛していた、同じ頃霧島温泉に

 

林田温泉が巨大な規模で繁盛していた。 ともにバブルの申し子みたいなもので巨大ホール
に旅役者や芸能人、歌手を招いて大勢の温泉客を呼び込んでいたものであった。
バブル崩壊と共に時代はファミリーを中心とした接客の流れに変化し、大型ホテルは何処でも

衰退していった。 新築すれば100億は掛かるような規模の施設が置き去りにされたが別府では
立地条件がよいので紆余曲折を伴いながらも今では外から見た限りではあるが繁盛している様
に見える。一方、林田温泉は丸尾温泉街から100M高く距離にして2KM近く離れており簡単に

は回復出来なかった。5~6年の放置期間の後とうとう岩崎ホテルが口説き落とされたとみえる。
引き受けてから14年が経つと言うが全盛期の施設の3分の1という規模での営業であった。

 

岩崎観光と言えば鹿児島県のホテル、観光業の雄と云われるほどの実力者で屋久島、指宿
など広く事業を展開している他、バスタクシーなどの交通の分野にも進出している。
その岩崎の実力を以ってしても林田温泉の立地には苦戦しているようで14年を経過した今でも

大繁盛という訳にはいかない様に見受けられた。 この事は立地と言うことよりもバブルの崩壊
による時代の変化と、とらえるほうが適切ではなかろうか。 ここまで書いて終わりにすると、いか
にもさびれて汚い印象をうけるが オットどっこいさすがは岩崎グループであった。

建物の古さは誤魔化し様はないものの、キチンと隅々まで掃除が行き届いており車寄せに配置
されているホテルマンの応対は一流のそれであった。 ロビーとチェックインの応対にも少しの
不満もなくむしろ全員のモチベーションに感心したくらいである。

きちんと案内されて入った部屋はリゾートホテルだけにツインルームにしては広く、古さを全く
感じさせないほどしっかり掃除が行き届いている。 快適な部屋に満足してカーテンを開けると
櫻島と錦江湾が見える、霧島の代表的な景観だ。 この景色は何度見ても飽きない。

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ここまではどこにでもあるパターンであるがそれから先が感動ものであった。
巨大ホテルだっただけに大浴場もさぞ大きいであろうと思っていたが案の定100人は入れる
大きさで金曜日と言うこともあり、一人でのびのびと泳いで楽しんだ。 泉質は一番温泉らしい

明礬で最も好きなタイプだった。 しかも巨大な湯船の割には掛け流しの量が半端でなく湯量が
豊富な事を物語っていた。 欲をいえば露天風呂の風除けが山岳地帯なだけに高く広々と
囲まれているのだが錆がきており 岩崎といえどもこの広大な施設の維持管理には苦労している

のが察せられた。 それにしても明礬の泉質というのは香りも肌触りも温泉らしさという点において
日本人に最も多く好まれており誰でも違和感なく入れるようだ。 白骨温泉が悪名を馳せたし
秋田県の乳頭温泉も温泉番組が放映される度に必ず登場する。 山形県と福島県の境にある

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姥湯、北海道の羊蹄山麓温泉も明礬であり、泉質に忘れられない思い出がある。
このようにロケーション、泉質共に優れておりバブルの時代には繁盛する要件を備えている。
それにも拘わらず20年経した今でも3分の1のスケールで経営せざるを得ない環境がいかに

厳しいものかを物語っている。岩崎と言えどもやはり時流に乗らなければどうにもならない時代
の変化は外部の門外漢からみて、人生のうえでも何らかの参考になるであろう。
その上同じ敷地内ではあるものの歩いて7~8分の所に驚くべき温泉が存在したのである。

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湧き出ている温泉の量が余りにも多い為に川全体が温泉で50Mに渡って点々と湯船が設えて
あり、しかもそれぞれ泉質が異なっており、湯船も20人は入れるような、しっかりしたもので
NHKドラマで登場した竜馬の湯もあった。温泉通を自認している自分も知らなかったことで

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世の中の広さを改めて思い知った事であった。 周りを何時もの好奇心で調べた事は云うまでも
無い。 奥深い森の中を覗くと40Mはあろうかという高さの石垣があり階段までついている。
登り口に説明文があった、それによると江戸末期の島津藩主の別荘として開発されたとあった。

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人口が3000万人位で自然環境が溢れていたであろうと思われる時代でも、この様な自然を
求めて山奥の温泉に浸かりに来ていたのを知り、人間の心は余り変化しないものと思い至った。
それにしても大変な山奥でしかも急な傾斜地に、よくこんな施設を作ったものとつくづく感心した

ものである。 現代人はどうしても封建制度の残っていた江戸時代以前の人々を何かしら劣って
いるような感覚を持ってしまいがちであるが、機械文明的には遅れていても自然を生かす感性
や工夫をつぶさに見てみると、今の人々よりも遥かに奥深いものがあったと思わざるを得ない。

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岩崎ホテルでは夕食が20時からと聞かされていたので断っていた。どこかで夕食を楽しまねば
ならない、近くの霧島温泉郷に数件の居酒屋、レストランがあると言う。

しかしグルメを自認している身としては、このあたりでは満足しないであろうと考えていた。
大浴場を独り占めしていたら同年代の人が入ってきた、この人、常連客で大阪から一人で来ている
という。ホテルの食事ばかりでは飽きが来るという話になり、いいところはないかと訪ねたところ

おすすめの店を教えてくれた。距離にして20キロ、30分かかると言う、結構、結構どこまでも行くぞー
なにしろ湯布院に泊まっていて食事に飽きると大分を通り過ぎて片道100キロ先の津久見まで
海鮮焼きを食べに行く少々アホな私共です。

黒豚の館と言う店がそれであった。 黒豚養豚牧場の直営店で横綱白鵬やサントリーの元社長
佐治敬三氏らそうそうたる人々がこの店を訪れている。 とんでもない田舎にもかかわらず本物を
求める人は何処にでもやって来るものだ。 休日には二時間待ちになると店の者が言っていた。

黒豚シャブはさすがに美味であった。 ホテルの料金の半額であるが、料理の量はこちらの方が
多く、わざわざやって来る価値があるというものだ。 分厚いトンカツもカツ丼も食べてみたかったが
腹の脂肪が気になって我慢、我慢であった。 霧島に行ったら是非また行きたいと思う。

霧島連山縦走の話が黒豚のことに飛んでしまったがとにかく霧島は素晴らしい、海にも近いし山も
深く野生の鹿にも出会う事が多い。九重連山も良い、とにかく自然は気持ちが良い。
九州での代表、阿蘇についてはレストラン経営のこともあり感覚が近すぎる為観光にはならない。

身内の様でついつい批評というか注文になってしまう。
まずアクセスの問題がある。 天草と阿蘇が2大観光地と云われるがハイシーズンになるといずれも
大変な渋滞で、特にツアーの旅行では短時間の間に決められた沢山の場所を廻る事が売れる条件

である為渋滞が最も嫌われる事となる。 解決策については政治、行政の問題なのでくどくどいうにを
控えておくが、県民性も加担している気がする。
アクセスの問題は巨額の費用次第で解決できると思われるが、もう一つの、一点集中と言う問題

は熊本の県民性を考えると最も困難ではないかと推察できる。
人間の歩いて感じる感性が最も印象に残る記憶とすれば、天草や阿蘇のどこが記憶に残るだろうか?
ドライブしながら天草五橋を走り抜けるのは気分爽快である、 世界遺産に相応しいと思える外輪山

を眺めながら、そしてどこまでも広がる草原の伸びやかさのなかのドライブは世界の何処にもない
素晴らしい経験である。 しかし前述の歩いて受ける思い出は何処で得られるであろうか?
自然と比較すると余りにも小さい人間の動物的感性とテリトリーは、やはり歩いてタッチできる範囲

ではなかろうか?  黒川温泉、湯布院温泉の圧倒的人気は、人のテリトリーにぴったりの広さだった
のである。 さあ考えてみよう。  天草でも阿蘇でも良い、どこかに黒川のように歩いて楽しめる
ようなホッこりするような場所を絞り込むアイデアを???

なんと絶望的な作業であることか,と 平凡な人間は考える、天才はこれを突破するのだ。
具体的な提案でなければ誰も受け入れてはくれない。 ここまでは多くの人が考えた事だろう。
熊本の県民性が邪魔をするのはこれからである。 さあこまったなー。

中国では考えが行き詰った時に便利な言葉がある。 ご存知だろうか、
ここでは結論を出さずにおいて進化した次世代の人たちにまかせよう。 という奴
結局、知恵がなくて逃げたかと云われると思うが その通りです。

あの広大な阿蘇の中で、何処に拠点を作ったら誰もが納得して協力してくれるだろうか?
結論から言うと特別なスーパーヒーローが現れない限り無理であろうと想像するので、ここでは
悔しいが時を待つことにしたい。

そんな訳で残念ながら 当分のあいだ我が阿蘇は霧島の魅力にはかなわないのである。

尾瀬ヶ原

第四号は大雪山縦走をと思ったが尾瀬ヶ原にしたい。
ここもお薦めの場所であるし至仏山と燧ケ岳の登山行もご紹介できると思う
遥かな尾瀬と言われた昔.尾瀬の入り口の一つ片品村でテニスの合宿をした思い出があるが.
テニスに夢中で.すぐ近くの尾瀬には、入らなかった。

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今回のご案内では登山の苦労話まではいきつきそうもありません。

福島.新潟.群馬.の県境に位置し栃木がその入り口付近を占めるという.本当に不便なところで
長い間マニアだけの場所であった。あったが近年は交通事情が驚くほど良くなった。
三回目の尾瀬入山の際.鳩待峠で新宿より三時間半で着いたというバスツアーの団体と出会って
本当に驚いたことがある。便利になったものだ。

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神戸港にフェリーでやってきました。港にキャンピングカーをおいて買い物

をしたり中華街で食事をしたりしてウォーミングアップしました。

尾瀬に入るには.この他に大清水と.桧枝岐村より沼山峠越えが一般的である。
量子は昔から (夏が来れば思い出すはるかな尾瀬遠い空.ミズバショウ...) とあこがれて
いたと言う。

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初めて入った時は沼山峠から尾瀬沼をめざした。 明治20年東京電力による尾瀬ダム建設に反対
し尾瀬を守り抜いた平野長蔵.長英.長靖の三代に敬意を表したく.長蔵小屋にどうしても泊まりたく
思ったのである。 東電は明治の時代から世の中を騒がせていたのである。

尾瀬ヶ原は至仏山と燧ケ岳に挟まれた長さ六キロ幅二キロに及ぶ日本最大の山岳湿原である。
標高千四百メートルで上高地とほぼ同じであり.快適さと広さと美しさにウットリする。

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あの広いディズニーランド全体の百六倍以上の湖が誰の立ち退きも必要なく出来るのであるから
自然は征服すべきだという.当時の強欲資本主義の輩が狙うのはもっとものことであった。
平野長蔵が一人で反対しその子孫達が守ってきた歴史を知るとき改めて感動を覚える。

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世界の環境汚染は誰も止めようが無く.方法も見つからないのが現実である。
大袈裟でなく地球の表面に棲息する生き物の一人として.孫の代の人々には申し訳ないと思いつつ
せめてこの素晴らしき自然を思い切り味わうことが自分に出来る事かもしれない。

自然保護運動が主題でもなく.それを語る柄でもない。楽しい嬉しい尾瀬の素晴らしさに移ろう。
ほとんどの人が写真で見ている通り延々と木道が整備されている。しかし.次々に現れる地糖(いけ)
やたくさんの花々を見ながらの歩行は決してつらくない.むしろ夏といえども冷たい風が心地良い。
木道は弾力性があり足にはとても優しい。 時々現れる小さな川には必ずイワナが泳いでいる。

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長蔵小屋は尾瀬ヶ原より二百六十メートル高い沼山峠からの入り口付近にあり
二十軒ほどある山小屋の中で最も古く大きい.しかし作りはしっかりしており.ユトリもある。
売店なども大きく喫茶等リラックスできる。   夕方周りを散歩していたら平野家のお墓を見つけた。
初代より四代にわたって経営をしてきた歴史をしのばせる。

尾瀬ヶ原に向かって樹林帯を下っていくと何と蕎麦屋がある.朝食が済んだばかりなのに立ち寄る..
これが旨い.手打ちだった。なるほどと感心する。尾瀬ヶ原が近いのかホッとする雰囲気に変化している。
尾瀬ヶ原は単純な一本道ではない。十数通りのハイキングコースがあり.真ん中近くに見晴らし十字路
がある。ロマンチックな名の竜宮小屋のほか数軒がちょっとした田舎の部落を構成しており中々良い
雰囲気を醸し出している。 別荘を持つ位なら此処に一週間泊まると良い。

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四方を山で囲まれ盆地を成し.湿原となっている尾瀬ヶ原に集まる水の唯一の出口が三条の滝である。
ここが只見川の源流となる。 ここにダムをつくれば簡単に湖が出来ることは述べた。
量子が滝を見に行こうと言い出した。下流なので水量が多くなる。 昔は尾瀬では風呂に入れなかった。

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その時は三日位入っていなかったので.辺りをキョロキヨロ.幸い誰もいない。二人で裸になって川に
ドボーン。  水はあくまで透き通り気持ちの良い久しぶりの行水であった。
後年になって近くの東電小屋付近に熊が現れたと.マスコミが騒いだのでゾーッとした記憶がある。

風呂上りのサッパリ気分で三条の滝に着いた。  大きく立派な滝であった。 こういう場所ですること
は決まっている。 お察しの通りイワナを釣った。国立公園につきリリース。

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標高差の無い平坦な湿原を坦々と歩くのであるから.心にユトリを持って行くとリラックスして楽しめる。
忙しいスケジュールは尾瀬に向かないと思う。池や花.昆虫.魚.青い空.白い雲.
そんな懐かしい昔の日本を味わって欲しい。

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先日.吉野桜と高野山へ友人六名でツアー企画に乗ってみた。吉野桜といえば人間と桜.どちらが多いか
というレベルと聞いていた。 その通りであった。こういう旅はツアーが良い。花見であるから皆でヨタを
飛ばしながら大いに楽しめた。 京都の都まつりなどは向いているのではないか。

上高地や尾瀬の様な繊細で壊れやすい自然の中へは同行する人を峻別すべきと思っている。
.尾瀬に行ったらリラックスである。 名所旧跡の帳面を消すように訪れる旅では余りにも
勿体無い。 大勢の人々の中で感受性を高めて繊細な自然を味わうことは銀座四丁目で座禅を組む
ようなものでとても困難なことだろう。

尾瀬は何故か.懐かしい気持ちにさせてくれる。
少年時代の自然がそのまま残っているからか?
どこまでも広く青い空.真っ白い雲.広い広い湿原緑におおわれた山々.至る所に咲いている花々
トンボをはじめとするたくさんの昆虫。

現代社会から失われてしまったかに見える景色が.これでもかという位.惜しげもなく広がっている。
部分的に残っている景色も場所によってはあるが.これ程丸ごと揃っている場所は他に知らない。

二度目の訪問の時.平野家四代目のお嫁さんに.近いうち子供が生まれるという。 聞けば熊本の岱明町
出身で里に帰って出産したいと言う。 量子の専門分野である。
里帰りしたら電話をもらうよう三代目女性主人に頼んでおいた。後日連絡があり岱明町で自然分娩の
段取りを手配した。

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二年後三回目に訪れた時には一歳前の可愛く逞しそうな男の五代目と面会出来た。
縁というものは楽しいものである。 その後熊本市内で出張蕎麦屋をしている青年を長蔵小屋に紹介
しておいた。 彼は小屋まで出張して蕎麦打ちをして来ました.といっていた。
行動力のある若者は何処にでもいるものだ。

初めに至仏山と燧ケ岳登山行を予定したが.長くなるので後の事としよう。
とにかく尾瀬は.懐かしく.心をほんのりとしてくれる。遠いけれど訪ねる価値がある。

この後また軽井沢をたずねました。 ほんとに好きなんですネ。

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万平ホテルです

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2013.06.20  IN 熊本にて記す

 

再び沖縄へ

10月17日~20日 沖縄に来ましたが まだ夏の香りのするような季節でした。

ところで過去の沖縄は長寿の国として誰もが認識していました。

今では長寿番付20数位というありさまで一部の人は危機感を抱き

糖尿病学会が開催されておりたまたま参加することができました。

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上の写真は斎場御嶽(サーファー ウータキ)世界遺産です。

今回は2015.01.22~25までの4日間 勉強を兼ねて沖縄本島の北部半分に

興味があり 探索に意気込んでいました。

そのため今回は中部のココガーデンリゾートホテルに連泊しました。

シーズンオフのため宿泊費も驚くほど安くデラックスルームまでサービス

してもらいました。 このホテルの支配人が熊本九州学院出身の剣道の

猛者で豪傑です。どうしてこれほどサービスがいきとどいているのかとおもっていたら

こんな松尾支配人のふるさとを思う心があったのでした。

沖縄の宿泊は絶対ここをおすすめします。私に連絡していただけたら

こちらから松尾支配人へ連絡してさしあげます。

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どうですか? よいところでしょう? このような環境がリーズナブルな

料金ですからネ インターネットでどこでも予約出来ますがここ以上はないと

おもいます。 ところでやはり植物の種類がだいぶ違います。

やんばるの森が楽しみです。昔、何度かきていますが那覇 首里城 スキューバダイビング

位で沖縄のことはほとんど知りませんでした。すみません

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上の写真は沖縄中部で最も人気のある古宇利(こうり)島です

飛行機で沖縄本島に近づくとサンゴ礁にかこまれた円い島が

まっすぐな美しい橋につながれておとぎの国のようにみえます。

本島のほぼ南半分を占めている高速道路の終点から一時間30分

かかります。大きな半島があり今帰仁(なきじん)村と本部(もとぶ)町

があります。今回の沖縄の旅で一番印象にのこったのが今帰仁城でした。

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1月23日でもうさくら祭りです。寒さはこれからなのにもう春です。

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今帰仁村の驚きはさくらではありません。

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この城壁はなんなのだ? と思いました。世界遺産です。

このそれほど 大きくもない島に だれが いつ頃 必要としたのか?

薩摩藩にそなえたかそれとも海賊か?または台湾か?

考えました。 見て廻るのが楽しくなりました。

説明書によると13~14世紀頃首里を本拠とする琉球政府の

出城がありここの支配権をめぐって争奪戦が繰り広げられた

とのことです。 平和な南国というイメージがありましたが

人間世界どこでもおなじようなことをやっています。

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ここと前後してルネッサンスオキナワホテルでお茶をしました。

白い砂浜と青い海 イルカのプールが印象的です。

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そして海中道路が3キロくらい続くところを通って 皆さんご存知

の万座毛の景勝地です。

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万座毛の駐車場がこみあっていましたが少し遠く

から歩いたところこんなめずらしい花をみつけました。

歩くとよいことがあるようです。

そんなわけでユックリ楽しんでいたら最北部の

国頭村(くにがみ)までたどりつけず ヤンバルクイナ

との対面は次のチャンスということになり残念でも

あり次の楽しみが出来たということでもあります。

では また お会いしましょう。グッド ラック

 

2月のベビーマッサージのお知らせ

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2月のベビーマッサージは下記の通りです。

2月27日(金)

午前10時~11.30分

黒髪マタニティハウスにて

ティータイムがあります

赤ちゃんの大好きな野菜スープもつくりましょうネ

 

上高地

第三号は日本の真ん中にしよう。
大好きな上高地である。
誰にでも繰り返し薦めたい最高のリゾート地の一つ。  何回行ったろうか。五回.六回
五十年前。徳本(とくごう)峠より入った。釜トンネルが片側通行で崩壊も多く簡単に
通れなかった頃である。トンネルでは幽霊が出るとも云われていた。
そんな昔から感動してきたが裏切られたことがない。

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五千尺ホテルの名が示す様に.標高1500メートル。 何もかもが宝石の様に感じられる
別天地。 梓川.澄んだ水とイワナ.河童橋.穂高の山々.全ての景色に心が洗われる気
がする。 ここに滞在しているだけで人間としての品格が上等になってしまう。と
自分だけ思っているのだが. 量子が其の通り認めてくれるか自信は無い。

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大半の人々が訪れる季節は.夏に限られてくるが勿論五月から十月まで素晴らしい。
高地特有の新緑が水みずしくその新鮮さがなくならないうちに。紅葉が始まるので.
雪さえなければ誰でも楽しめる。
軽井沢は標高900メートルで. あれだけ涼しく快適であるから上高地は当然。
決して日帰りせず泊まって欲しい。出来れば2泊お願いしたい。
泊まる所は7300円の山小屋から帝国ホテル35000円までたくさんの選択肢が揃って
いるのでフトコロの許せる範囲でミエを捨てて現世の天国を楽しんで欲しい。

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同じ所に泊まって一体どうするのかって。 心配はいらない。 足りない位である。
スイスのアイガー北壁の隣.ユングフラウ.ヨッホまで行き.麓のリゾート地に
泊まったことがある。開放的で様々な花が咲き.ホテルの窓にも花で飾ってテレビで
見たとうりロマンチックであった。 周囲は牧草を綺麗に刈り込んでアルプスの少女
ハイジの画面を見ている様であった。

何もかも綺麗でうっとりしていた。 しかし何かが違う。 何か.自分のいる所ではない
気がする。 そう.落ち着かないのである。 帰国してからも考えていた。ある時

フッと気が付いた。 大陸と島の違いである。土壌もちがう.水も硬質.石灰質で
飲めない。標高は4158メートルでヨーロッパの2番か3番目の高さでずば抜けて高い

訳ではないが。スケールが大きすぎるのである。滝があったが1000メートル位あり水
は霧の様になって滝壺の様なものが無い.

そんな訳で眺めているのには素晴らしいの一言に尽きるのだが.肝心の肌で感じ
られないのである。即ち樹林帯があり猿が鹿が川にはアヒルやカモが遊びイワナが
泳ぐ.そんな森林性猿から進化して来た人間のDNAが落ち着く環境は上高地が
はるかに上回る。 昔の日本人はこの素晴らしい土地を牛馬の牧場に使っていた。

何とも贅沢なことではないか。 当時少しだけ文明の進んでいたイギリス人の
ウォルター.ウエストンがやって来て(明治21年ー27年)前穂高に登った。ガイドは
有名になった上條嘉門次であった。ウエストンはその後計3度来日しているが
イギリスで日本アルプスとして本を出版した。

明治までは武士道精神で武士階級が日本人の道徳的規範を示してきた。
文化的には当時の世界で最も平和で芸術に富み教育が行渡っていた。
しかし.奥ゆかしさを是とし遠慮深い為に.文明的には欧米にやや遅れていた。

初めて上高地に入った頃は.高度成長期の入り口で経済優先。
人生を楽しむなどと云う発想は柔道のやわらちゃんが後年言っていた位であった。
余暇を楽しむ為に当時の通産省がわざわざ余暇開発機構なるものを作った位で
上高地がリゾートに向いているなどとは誰も思っていなかった。

 

文明開化の時代の為.軽井沢.雲仙.清里等皆外国人が見つけた様になっている。
アウトドアや登山等の遊びを知らなかった日本人に趣味の多様性を教えてくれたと
いうことだろう。

今では上高地の入り口になっている釜トンネルを過ぎるとすぐ大正池が現れる。
大正4年焼岳の噴火により梓川がせき止められ出来た湖で立木がそのまま湖に
立っているのが珍しく.幻想的でもある。 ここでバスを降りよう。そのすぐ近くに

田代池がひっそりと美しくたたずんでいる。小さなそして浅い池だがとても美しい。
真夏でも新緑のような森を少し行くと憧れのシャレー建築の帝国ホテルが見えて来る。
格調高く上高地にピッタリの建物である。 誰でも入りやすいので薪ストーブのある
ロビーでコーヒーなどを奮発すると(800円位)ちょっとセレブの気分になる。

しばらく行くとバスターミナル。車はここまで。 有名な河童橋はすぐ近い。
穂高連峰が完璧なまでに見えるこの橋は何時も大勢の人で賑わっている。
量子は河童橋から眺めた穂高連峰に接してから山が好きになったと言う。

この周囲だけで半日は充分費やしてしまう。何時行っても美しい新緑と他では滅多に
見られない大きく水量の多い梓川をはさんで歩くだけで楽しい。 橋を渡れば
ウエストン碑. 日帰り温泉など何時の間にか散策をしてしまう雰囲気がある。

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しかし.ここは入り口であって上高地の本当の素晴らしさの八割はこれから先にある。
ツアーでの旅は気軽で低料金が魅力.時々利用しているが.上高地に限って言えば
ここだけでは何とも残念である。 これより約十キロもの自然公園が待っているのだ。
とはいえ.時間のこと.仕事のこと.フトコロ具合色々ある.でしょう.でしょう.しかし

ここだけは是非是非二三日滞在をお願いしたい.頼まれている訳では無い。
自然の素晴らしさをとことん味わってもらい.再認識して欲しいからである。

さあ.いよいよ河童橋を渡って明神池まで行ってみよう。
梓川を右手に見ながら.美しい樹林帯の中を歩く.背の低いクマザサや野草の間を
進む.道は充分離合できる広さがあり路としてはしっかりしている。

小さな沢や湿地帯が随所に現れるが木道が整備されている。
始めに現れる広い木道では梓川の支流につながり決して人前では姿を見せない
イワナが悠々と泳いでいる.荷物も置けるので写真でも録ろう。

梓川岸の砂利で遊ぶ場所もある。カモが現れるが人を見ても驚く様子がない。
神様しか作れない様な美しい川と.林で一時間の散策は全く疲れを感じない。

前述した嘉門次小屋ともう一軒の山小屋に着く。鬱蒼とした樹林帯の中だがなぜか
明るく神秘的に感じる。そばにたたずむ明神池と穂高神社奥宮の神々しさか。
明神池も神様しか作れない様な神々しさと美しさがある。
イワナが養殖しているのかと思うほどたくさん泳いでいる。怖がらない

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大正時代に秩父宮殿下が始めてイワナを釣ったと言って喜んだそうな。これでは誰
にでも釣れそうだ。 今では国立公園の為捕獲禁止.イワナも安心して悠々。
嘉門次小屋で焼いている塩焼きはここのイワナでは と下司の勘ぐり。育ちは争えぬ。
ゆっくりとのんびりしたい所。 量子が特別別嬪さんにみえる。嘘だと思うなら奥方でも
彼女でも見慣れし過ぎたと思っている人は一度一緒にいってみれば判るハズ。
但し保証書までは発行しないので自分で判断すべし。

明神池から徳沢まで一時間 このルートも自然派には天国.徳澤園は山小屋である
が 少々品格がある。昭和31年井上靖が(氷壁)という小説を滞在して書いたと云う
宿である。ここの主人は上條さんなので嘉門次の親戚かも。

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量子はこのデザインが好きでここに泊まりたがる。 以前穂高町から表銀座コースで
槍ヶ岳から上高地に降りた時.四日間風呂に入っていなかったこともあり徳澤園の
快適さにホッとしてとうとう三連泊してしまった。

この時(氷壁)の舞台になったと云われる前穂高東壁の100メートル超の絶壁を見に
行ったり.近くを散歩したりして楽しく過ごし退屈をしなかった。
四国の四万十川を河口の中村市を基点として源流まで探索したことがある。
最上流の部落に看板があった。
(都会は人間が作ったもの.田舎は神様が作ったもの。)
その見識に感動したことを思い出す。

上高地はまさに.神様でなくては創れない神秘漂う所だと思う。
夏であれば学生たちがテント村をつくって微笑ましくも賑やかしい。

徳沢から更に一時間進むと横尾に着く。横尾山荘がある。ここまでが上高地と云われ
ほぼ平坦な景勝地である。 ウエストン達が景勝地として世界及び日本に紹介する

明治29年までは嘉門次達が牛馬を放牧するだけの平たい土地にすぎなかった。

横尾から先はいずれ書くことになるが.穂高ルートと槍ヶ岳ルートに別れる。どちらも
素晴らしいルートだがいずれも山岳地帯となる。特に穂高ルートに涸沢あり 秋には
日本一と言われる山岳紅葉が見られる。
槍.穂高共に人気コースのため山小屋が点々とあり四.五時間歩ける人なら登れる。

大分昔のことだが平湯トンネルがないころ日本三大難所と云われた安房峠をバス
で通った時.買ったばかりの高級帽子をバスに忘れた。未だに量子に叱られている。

上高地の周辺には良い処が多い. 平湯温泉.白骨温泉.乗鞍高原.奥飛騨温泉卿
車であれば二三十分で着いてしまう. 少し頑張ると高山まで行ける。
何度行ったか忘れるくらい訪ねているが.今でも毎年二三回は行きたいと思っている。

2013.06.10  IN熊本

屋久島宮之浦岳

熊本と宮崎の県境.蘇陽町。 そこに知る人ぞ知る幣立神宮がある。
天孫降臨の物語によれば表の伊勢神宮.裏の幣立神宮と言われている。
一万五千年前に五色の神々が集まり.世界中に平和を求めて旅立ったと言い伝えられている。

何とも立派な理念とスケールに感心する。 人類の歴史をたどってみると
アフリカからスタートした人類がこれだけ進化したのは.
好奇心に後押しされて世界中に散らばっていったことが.理由としてかんがえられる。
たかが旅行記にそんな理屈は必要無い.しかし人生に感動と好奇心の他に何があるのだろう。

旅と旅行を区別しておこう。旅行は段取り決めておくこと。 旅は出たとこ勝負.
サプライズの連続。人類の好奇心を満たすのは何と言っても旅ではないか。
おっと.これは自分の定義。

若いころ大御所といわれる作家が太い万年筆で頭を抱えながら文章をつむぎだす
ところを何かで見て憧れたことがあったが.今ではキーボードたたくことでやっと時流
の隅に掴まっている。

第1号は利尻島紀行であった。 第2号は屋久島宮之浦岳に決まっているではないか。
1月2日の正月のこと。 もちろん冬。

相似形の日本列島.象徴のような姿を何度でも訴えたい。全ての日本人に知って
もらいたいと念ずるからである。 繰り返すが利尻島と礼文島そして屋久島と種子島である。

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鹿児島からは快速艇トッピーで行った。大好きな西郷さん。あの大きな器を育てた
と云われる桜島。何度見ても鹿児島からの姿は素晴らしい。思わず深呼吸してしまう。

尖閣だ.竹島だ.クナシリ.エトロフだと愛国心は大切だが.中国.朝鮮.ロシア.日本人
も含めて.人の心はセコい。  結局.漁業権にまつわる損得と多少の軍事的優位性.
そして何より.つまらぬ人間ほど主張したがるプライドの応酬に過ぎない。

ま.一介の浪人であるからこんな批評をほざいていられるのであるが。
おっと西郷先生の話だった。 (敬天愛人)いいね。 誰でも偉そうなことは云うが
実行が供なわぬのが人の常.そこが西郷さんは一致していたらしい。なんて
思いながらトッピーで3時間。

漁師経営渡辺さんの民宿。東京から石鯛釣りのビジネスマン2人と夢を追う人生の
話でもりあがった。翌日登山開始.借りていたレンタカーで樹齢3000年と言われる
紀元杉の登山口へ標高を上げる。途中屋久ザルがでてくる。

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猿2万.鹿2万.人2万.と言われたそうだ。始めは珍しがってミカンを投げる.猿が
たくさん出てきて拾ったミカンを持って.ワイパーの上に乗ってくる。皮をむき出鱈目に
かじってすてる。フロントガラスがひどく汚れた。彼らには躾けが無かったことに思い
至り.反省。量子は猿を見て喜ぶ。

 

紀元杉.さすがに大きい.大きいが市房杉や霧島神宮のご神木杉と比べても大きさに
大差は無い。中身が詰まり年輪の密度が濃いのである。油成分が多く中々腐らず
木肌は光沢があり貴重な杉として.高値で取引され.トロッコ鉄道まで引いて町をつくり
小学校があった記録がある。

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A.M7.00登山開始.屋久島らしいうっそうとした森のなかを歩く。明らかに湿度の
高そうな森林で.この中を歩くだけで価値がある。 1週間に10日雨が降ると言われ
そこ.ここに小さな沢がある。と.云っても道がぬかるんでいる訳では無い。

日頃より行いがとても.とても良いせいか1月2日というのに暖かく良い天気であった。
森林浴の気分で楽しく歩く。猿が出てくる.今度は何もやらないよ。
宮之浦岳は下からその山容を窺うことは出来ない。

 

序々に視界が開けて来る.前座の山々の頂もみえてくる。頂の上からシカが顔を
見せる。少々小さい。7人の侍に出てきた部落の見張り番の様に怪しい奴が来たと
ばかりにジッと様子をうかがっている。
300メートルはあろうかと思える断崖の1枚岩の上を滝の様に水が流れている。
彼方此方歩いたがこんな景色.初めて。素晴らしい景観.きて良かった。

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まだ誰にも遭わぬ。量子と2人。
しばらく行くと上高地の大正池を凝縮したような景色が現れる。 これぞ花之江河と
言われるところ。一休みしたい.ゆっくりこの景観を味わいたいと思う。

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熊本で東京の山岳地図編集責任者へ電話した。 (冬の北アルプスの経験はあるか)
と聞かれた。天候次第ではそれ程の高山という認識はあった。

1936メ-トルの頂上に立った時は全くその認識は失われていた。それ位天気が
よかった。九州の最高峰は九重連山の中岳で1791メートルなので九州地方の
最高峰と云うことになる。

屋久島にはこの他に1800メートル以上のピークが7つ以上あるはずなので頂上から
の眺めは山々の連なりであった。しかし.小さな島のそのすぐ先には見渡す限りの
広い広い海であった。すぐ隣はるか下に種子島が見えるのみである。

何時ものことであるが行いがとてもとても良いので.冬とは思えぬ程暖かい。Tシャツ
1枚になって昼食をとりながら1時間30分恍惚感に浸っていた。量子も薄着で
楽しんでいた。まだ2人きり。

下って行く途中で縄文杉見学の7-8名の一行と出遭っただけ.2人の静かな旅で
あった。紀元杉の車の所へ着いたときは薄暮になっていた。  あぶない。
あぶない。この山は深いのだった。

翌日は島めぐり.一周105キロ。  狙いは平内海中温泉。 建物どころか脱衣所もない。
但し 無料.干潮の時のみ入れる。本物の自然温泉。 運よく干潮と出逢い早速入る。
北海道の相泊みたい。北の国からと云うドラマで純とトドが一緒に入った温泉だ。

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開放感100パーセント.気持ち良い。潮が満ちてくる。  あたたまりすぎたので
そのまま海で冷やす。また温泉に入っていると海鵜が首だけ出して温泉に入ってくる
ではないか。 好奇心に満ちた顔をしてキョロキョロしながら私達の周りをぐるっと
回ってでていった。 何という自然。

いずれ此処に住んでしまいたいと本気で考えてしまった。 今日は正月2日.
この快適さはなんだ。海は良い。しかし.山の魅力が上回る。自分は山派。四季の変化.

木々の移ろい.動植物.川魚の変化など.味わいが深い気がする。仙人。達人.高僧.
皆山に籠もる。
屋久島はとても良い所。 近くにあって本当によかった。

鹿児島へ帰るトッピーはとても揺れた。 15メートルの差はあろうかという波の間を
飛んでいたが.やはり途中で故障.量子の恐怖感は大変だった。30分位大波の中を
漂った。

量子は冬の船は二度と乗りたくないと言っている。
それでも屋久島は良い所だ。

2013.05.25  .IN熊本