徒然なるままに

(2013/8/1)   つれづれなるままに

7月でさくらカードを頂いた。 同時に健康保険証に一割負担と書いてある。 それなのに
テレビを見ていたら (70歳の高齢者がバックをしようとして事故を~~~~~)それを見ていた
自分が あ~あ年寄はあぶないな~ と呟いていた。 自分にその認識は無い。絶対無い。

十年前の還暦の時 (村の~渡しの船頭さんは~今年~60のお~じいさん~歳をとっても~ )
この唱が初めてこたえた記憶がある。
今度は古希ときた。 何千年も前から全ての先輩方が通り過ぎて来た道である。 なにを今更か

若いころ色々悩み.迷っている頃.早く歳をとりたいと思っていた。老境に差し掛かっている先輩方
が何事があっても悠然と構え落ち着いているのを羨ましく思っていたからである。
今思うと.何ということは無かった. ただ反応が鈍くなっただけであった。

それはお前だけのことで他の人は深謀遠慮が進み人間が立派になり大人に成っているよ。との
声が聞こえて来そうだ。 本当にそうだろうか. 周りを見渡して安心している。同輩は皆同じで
あった。 こんな謙遜が上手になったことは歳をとった証拠でイヤラシイ。

確かに理屈の捏ねくり方は上手になったと思う。 周りの同輩のなかにそんな人がチラホラいる。
中でも最も耳障りなのが自己承認型で 俺は間違っていなかった.正しかったと済んだ事や当方
の知らない事に賛同を求めてくる。 ソロソロ痴呆症の始まりでは と勘ぐりたくなる。

次に多いのが同じ話を何度もしてしまう何度型(難度型)。 いずれも話し相手としてはお断りしたい。
孫を見ていると此方の足が弱った分だけ孫が丈夫になり忘れっぽくなった分だけ敵は何でも
覚えていて.それは前に聞いたとうそぶく始末。

それでもこんな事を客観的に反省に近い形で受け取れる内は まだ正常な証拠か。
アブナイ.アブナイこうやって他人に承認を求めだしている。そろそろかな?
此処までは年寄りの卑劣なところで一応自分を卑下してみせる。 おぬし中々やるではないか。

とは 云ってくれるな御同輩よ。  私も人の子やっぱり自己承認がしたいのだ。 わかっとるネ。
こんな駄文を書く事でとっくに白状している。 しかし老兵は死なずそして.黙って消え去らないぞ。

そんな訳で I T の時代に取り残され.早すぎる変化に翻弄され.アナログで蓄えてきた経験.
知識が役に立たず 腹立たしい思いをしている御同輩達よ. このままでは イカンゼヨ。
お勉強が良く出来.学歴最高の民主党の諸君の情けないザマを見たばかりではないか。

若ければ良いのか。 NO だ。育ちが良ければ良いのか。 NO だ。  しっかりしてくれ
一人一人で自慢をしたり影で批判をするのはもうやめよう。 以前の精気を取り戻そうではないか。
堂々と昔の経験.知識.知恵で若者達に模範を示そう。

えらくヒートしてしまったが大丈夫かな? 落ち着いて 落ち着いて そもそも老化したあげく古希
とやらの称号を頂いたのであった。 こうして元に戻れるのが年配者の優れたところ。
こうした戻るという配慮が出来なかったのが民主党エリートの諸君であった。

こういう特徴を生かすのがシニアの務めであろう。
運動能力は確実に劣ってきた。記憶力.感動する力.共感力.全て弱っている。どうしよう
この辺で失った物ばかり数えるのはよそう。 そして残った物を捜そうではないか。

昔 座禅修行の真似事をした。その後も高僧.学者その他の人々から沢山良い事を教えて頂いた
が全て忘れた。 只 相田みつを師のことばを除いて。
(禅の修業は一つ一つ何かを身に付けていくのではなく.一つ一つ捨てていくことである)

もう一人中村天風先生の言葉が印象深い。
(皆 難しい顔して座わっているが.ケツ が痛くなっただけの奴がほとんどだヨ)

こうして諦観だけが研ぎ澄まされれば少しは悟りに近くなった様に錯覚するが.それは錯覚であり
悟らない方が良いと85歳の寺の住職が言う。 悟ると生きる楽しさがなくなると諭してくれる。
暑い寒い.嬉しい悲しい.好き嫌い.旨いまずいの中に生きる喜びや実感があると言う。

ウーーン そうかも しれない

元に戻ろう。 そうと成れば年配者が苦労して蓄積してきたものを下手に取り出さず.涼しい顔
をして何も知りません.何も経験していませんという態度で 今.今の現象を唯.唯.素直に
味わって生きるのが最善なのか?

此処まできてハッと思い出した。  高野山の大アジャリのことである。
ハワイ自慢で42箇所のゴルフ場を全て廻り.名球会の張本だ衣笠だ.そして王貞治とどうこうした
と自慢話だけを聞かされたあの大アジャリを誤解していた。 とんだ生臭坊主だとおもっていた
あの人は難行苦行三年に及ぶ千日行のお陰でヤッパリ悟っていたのだ。

人生は深い深い謎に包まれている。 古希に達した位で悟ったような顔をしてはイケナイよ。
それでも何か仰りたいことあります?
(理屈は分かった。 だがしかし)

仰りたい事は分かっています。 俺の永年の経験.苦労.努力.実績.輝かしい成果.地位.名声は
一体どうしてくれるのか? でしょう。
それでは聞きますが あなたが現役バリバリの頃 今のような状態の先輩をどう扱って来たか

覚えていますか。 覚えている訳ないでしょうね。多分家族の為と言いながら自分の為に自分
が決めた人生を余り深く考えずに.今日まで来ただけでしょうから。
恐らく判断基準といえば自分で考えた事は無く.テレビで放映された事.新聞に出ていた事

ほんの一握りの周りの友人.知人の情報に限られていたはず。 こんな有様で人様に自分の
人生に賞賛が欲しいといってもそれは余りにも自己中心過ぎではなかろうか。
翻って世の中から認められたい誉められたいという感情は三大本能の次にくる強い欲望で

これだけ豊かになった現代では最大の欲求といっても間違いないであろう。
政治家の失言.学者の逸脱.マスコミの過大表現.経済界の不祥事など全てが人々の個人的な
レベルでの賞賛を欲求する本能から来たもので現代病といっても良いのではないか。

平たく言えば目立ちたい病であり 目立てば金になることから芸能界が女子供達まで巻き込ん
で 目を覆いたくなる様な番組を垂れ流し一方でエラそうなことをいいながらも売り上げの圧力
に逆らえない第一権力者マスコミも現代病に罹っており矛盾の極となっている。

これこそ拝金主義が行き着いた最悪の世紀末現象であろう。
エラそうに世の中批判になってしまったが.個々人の責任は問えないものの古希になった人間の
最低限認識すべきことではないかと思う。それにしても 若い連中と付き合うのは退屈になった。

若い時は感動し.喜んで生きており.学んだ事を.あろうことか我々に自慢する。歩いてきた道を
中学生対象の様ににエラそうな顔をして自慢されるのは悪い事ではないがそれ程刺激のある
経験ではない。退屈はモッタイない。繰り返し聞かされる程ボケてもいないつもりだ。

それでも尚何か仰りたいことあります?  ナイ?井戸端会議の様に無責任でとりとめがなく
結論のでない堂々巡りの様なオシャベリに参加するほど暇では無い?
それでこそ男の中の男です。 O K。 O K。 最後の男になろうではないか。諸君。
(2013/08/20)   I N  熊本

臨時ニユースです 

2015.06.26

以前より課題だった産後のケアの体制が揃いました

阿蘇のマタニティハウスで産後ケアとして一週間

産後のママと赤ちゃんのお世話をした経験を生かして

もっともっと理想の産後の過ごし方を研究してきました

このたびその体制ととのいました。

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2015.06.24
産後ママのためのベストな提案がスタートしました

* 女性の身体は 産後、授乳や育児によって妊娠以前とは
全く違う体に生まれ変わると云われています。

分娩という大きな負担とともに疲労がたまっています

* 身体だけでなく 心も授乳という慣れない行為と添い寝
のためにすこしづつですが大きく変化していきます

* この大きな変化のために少数ですがブルーという産後うつのような
状況が現れます、一時代前まではすべてこの大変な時期をママの実家と
おばあちゃんがサポートしてくれていました

* 今でも大半の家庭がこれが当たり前でうまくいっています

* 時代は変化しています、おばあちゃんに当たる方が仕事で忙しかったり
核家族化によって昔のような状況と違うことがよくでてきました

* マタニティハウスでは過去にこのような方を 阿蘇で六泊七日の日程で
お世話をしてとても喜ばれた実績をもとに産後宿泊コースをスタート
しました

* 場所はやっぱり阿蘇にしました
評価の高いペンションを選択してやさしそうで産後のママに理解のある
素敵なオーナーを見つけました

* 詳細は電話にてご相談ください

6月ベビーマッサージ終了と7月のお知らせ

2015.06.24

6月のベビーマッサージは10組21名の参加で

部屋がいっぱいになりました

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もといママ ベビーマッサージが気持ちよさそうでした

オイル買ったので家でもします

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かいとママ ベビマ 大好きなカイトですが自分より

小さいお友達と遊べてたのしそうでした

ななみママ 2回目で雰囲気にもだいぶなれた様子でした

楽しかったです

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はるかママ 2回目で今回は泣いてしまったけれど

家でもやってあげたいと思います

あつしママ 初めてのベビーマッサージで歌をうたいながら

やったのが楽しかったです

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りょうすけママ 初参加でした、マッサージ気持ちよかったみたいで

終わってからグッスリ寝てしまいました

ゆりママ    2回目でした、寝返りして大変でしたが

とても気持ちよさそうでした

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ふうか、太陽ママ 姉弟で初参加です;バタバタしたけど

楽しかったです、ありがとうございました;

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飛び入り参加、楽しかったヨ

きょうママ あさひママ バイバーイ

* 次回7月のベビーマッサージは

期日      7月22日〔水)

時間      10時~11時30分

持ってくる物  バスタオル シート 着替え

オイル

*皆様の要望が多数ですのでベビーマッサージの後

マヤ暦による 子育てワンポイントアドバイスを

します、乞うご期待:   予約してネ

 

 

 

 

宮島~剣山~祖谷渓を訪ねて

 

宮島~剣山、祖谷渓を訪ねて 2013.04.26~05.01 (6日間)

宮島は世界遺産の名前に恥じない素晴らしいところ。 その気になった方は
是非訪ねてもらいたい、実行したほうが得です。

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「そう思っているのだが、、、」 と言う言葉をよく聞いてしまう、非常に残念。
よくある情景を一つ。 忘年会でも、歓迎会でも、仲好し会でも何でもよろしい、
ものすごく盛り上がって楽しく記憶に残った宴会の経験が誰にでもあると

思う、 楽しかった記憶をもう一回再現したくて 誰かがもう一回企画した。
こういう経験ありませんか? ところが全く同じ情景は再現されないのが
人生行路なのである。

行く河の 流れは絶えずして しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中
にある人と、すみかと、またかくのごとし。

人生は、重いい荷物をかついで、長い坂道を行くがごとし。
教訓はどこにでもいっぱいあるが現代は医学の常識と同じでおかしなものに
なってしまったものもたくさんある。 ご用心、ご用心

前置きが長くなってしまったが、宮島にはいける時に行っといたほうがいいよ。
といいたいのである。 3回目であるが今回初めて宮島の中,宮離宮に泊まった。
30時間も 宮島にいたのでほぼ完全に歩き回れた。

一日目 2013.04.26 熊本~宮島の一日
宮島の最高峰は弥山、といい535Mの山を含めて島全体が世界遺産となって
いる。日本3景の一つでもあり、厳島とも呼ばれる。
推古天皇の時代が厳島神社の創建といわれる。

平清盛が全盛期に寝殿造りをとりいれるが現在の壮麗な様式は毛利元就の
再建である。
いろいろご託を並べたが、いよいよ旅を始めよう。

宮島は4度目なので今回は弥山登山を目的とした。
世界遺産となってから初めての訪れなので改めてすみずみまで回ろうと
思った、朝の4時半にスタート、関門海峡で休憩しただけで 9時半に宮島口

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に到着。 宮島口駅隣接の駐車場に停める。翌日 午前中までの契約で
500円で決着。 安いでしょう? 旅なれている者だけの得意技です。
船着場にはすでに修学旅行の学生をはじめ大勢の観光客がそろっている。

大勢といっても船もおおきい、待つこともなく、10分で宮島到着。
何年ぶりだろう。 満潮の中に大きな朱塗りの鳥居がたっている。
たくさんの鹿が出迎えてくれる、すこし進むと海の中に寝殿造りの赤い

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厳島神社が目に入る。何度もみてもすばらしい。写真などでいつも目にするが
やはりこの場所にくるとその荘厳さにうたれ、来てよかったと思う。
宮離宮に荷物をおいて身軽になって神社見物。

挙式を挙げたのだろう、新婚さんと親族が並んでなにやら厳島神社特有の
雅楽と踊りを奉納していた。運よく良いものに出会ったと思ってゆっくり見物。
これも時間の余裕がたっぷりあるから出来る事。

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それにしてもいつも思う、よくも海の中にこれほどの大きな神社を造ったものだ。

権力はいつの時代でも偉大なものだ。 いままで時間の都合で見向きもしなかった
裏通りを歩いたところ周囲の神社や旅館、みやげものやなどに気が付いた。
一方で船着場からの参道は益々繁盛といったところであった。

いよいよ弥山へ    繁盛している参道を抜けてしばらく行くと、いかにも老舗と
いった風情の旅館がある、 岩惣本店である。 余裕があればここに泊まりたかった
のだが高額なので諦めたのだった。 いかにもシックで落ち着いていて

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いい宿の雰囲気がただよっている。 この旅館次回の目標としよう。
少しずつ登り坂になってきた、もみじの木がたくさん生えている、特有の
やわらかい葉と繊細な枝で新緑がとても気持ちが良い。紅葉谷というらしい。

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深い森のわりには暗くならないのはもみじの森のよいところだろう。
秋の紅葉はさぞ見事であろうと想像する。この深くて明るい森を15分ほど
楽しんで歩く、数人の登山者がいる。ここで白状するが登山とはいったものの

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すぐロープウエイがある。 ロープウエーとゴンドラを乗り継いで15分、7~8合目位
だろうか,獅子岩駅に到着。 展望台があり付近一帯が見渡せる。 頂上へは
ここから30分の短くはあるが登山であった。 さすがは日本三景に数えられる

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だけのことがあった、30分の間にいろいろな物語や伝説が次々に出てくる。
消えずの火といって弘法大使が秘法を修して以来1200年消えていない火とか
錫杖の梅、曼荼羅岩、干満岩、とにかく退屈しないのだ。

伊藤博文が宮島に遊んだとき「宮島は弥山に登らなければその価値がわからない」
といったそうな。 歩きながらこの山は岩でできているのに気付いた。
とにかく巨岩が多い。いたるところに巨大な岩がごろごろしておりその合間を

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ぬって歩く感じ。岩と岩が重なり合ってトンネルができておりわざわざ巨大な
クレーンで造ったような道をとおったりしている。そうこうしているうちに岩だけの
開けた場所に躍り出た。疲れを知らないうちに山頂についたような感じ。

くどいようだが山頂は巨岩をきちんと重ねたようなところで屈強な若者でなければ
登れない場所にあった。
展望は 素晴らしいというにふさわしい。近隣の瀬戸内海が一望のもとに見渡せる。

有名な江田島とその港が見える、 中国山地がかすんでいる、 岩が多いため
緑の山全体に白い点がたくさん目立つ、景観として悪いわけではない。
厳島神社の入り口でシャッターを押してやった西洋の夫婦も登ってきており

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巨岩の下で再会を確認する。
下山してからも駆け足の観光ではいかないようなルートを楽しんだ。
途中の道に団子やぜんざい、コーヒー、ケーキなどの店がある。

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森のせいで見えなかった海が見えてきた、すこし いつもと違う景色と思う。
潮がひいている、鳥居が砂浜に立っている、海のなかに立っているはずだ、
おおぜいのひとが豆粒のように、鳥居の付近にみえる。

干潮の厳島神社は初めてであった、いままで干潮に何故出会ってこなかったのか。
近づくにしたがって日本一大きいといわれる鳥居のすごさを感じる。
大きい本当に大きい。土台の上に乗せているだけと聞いた。 重さだけで持って
いるという。

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大きさを感じた後、 まわりにしゃがんでいる人々がたくさんいるのに気が
付いた。 よーく考えてみたら潮干狩りの人々であった。世界遺産の海で
潮干狩りとはなんという豪華なことか。

午前中は海に浮かんだ神社と鳥居を参拝し午後は巨大な鳥居に近づく、
こういう体験は宮島に宿泊できたお陰だろう。
豪華な夕食を頂いた後、宮島に伝わる踊りと太鼓を鑑賞した。

ライトアップした鳥居も泊まった人だけが見ることのできる良い経験だった。
12時間、宮島を堪能した一日であった。

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二日目  2013.04.27  宮島~瀬戸大橋~琴平さん~祖谷渓

翌日はゆっくり朝食をすませたあと、改めて神社の周辺を探索し、思い残すこと
なく次に進むこととする。 すでに賑わっている参道を通り船に乗った。
こんぴらさんに久しぶりにお参りしようと決めていたので迷わず倉敷へ

瀬戸大橋は大きい。巨大な基礎の上にのって素晴らしいつり橋となって
見せてくれる。 以前、高松を訪ねた時 坂出までいってこの橋をながめた。
その時の巨大な構造物としての印象がまだ残っていた。

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こんぴらさん この前に来たのはいつだったのか。高校の修学旅行を含めて
数回来ており前回は量子と来たのをおぼえている。
ここに来たからにはまず うどんを食べなくてはならぬ。参道の長い階段脇に

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元祖や本家が我こそ本物と言い張って並んでいる。 何処でも同じだが
大量の食事をだすところで旨かった印象はめったにない。
長い参道をみやげ店をひやかしながら歩くと余り疲れることがない。

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10年ぶり位であっても何となく懐かしい。高校生時代の思い出と重なるからだ
ろうか。金刀比羅宮、こんぴらさんと呼ばれて全国の琴平神社の総本宮でもある。
本宮の展望台からの讃岐冨士のながめは昔と変わりなかった。

本宮から少し下ったところに、お休みどころがあった、 中は超近代的で伝統を
誇る神社と両極端の印象。 キョロキョロしていると折り目正しい上品な支配人
らしきロマンスグレーが立っている。 ただの飲食店の経営ではナイナーと

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ロマンスグレーに話かけた。
近代的な内装が この伝統ある神社とあまりにもかけはなれていることを
ぶしつけながら訪ねたのだった。 入り口はコンクリートながら地下室のようで

なかにはいると階段の中腹のために展望の良い構造となっている。
相当な腕の設計士が考えた創りであると思った。 古式豊かな金刀比羅山の
風情を少しも壊していない。 ぜんざいではなくパフェが名物だという。

思ったとおりの支配人にたずねると 並みの喫茶ではなかった、資生堂パーラー
であった。 彼は資生堂を定年退職しふるさとの香川に帰って2度目の仕事だと
いう、そして資生堂の創業者が香川の出身で金刀比羅宮にはいつも相当な

奉納を続けているという。 なるほど、納得であった。
人生いろいろ、こうして故郷に錦を飾れる人があり、故郷に帰れない人がいる。

 

今日は、これから故郷に永遠に」帰れなかったひとびとが隠れ住んだ祖谷渓
(いやだに、と読みます)へ行く計画。 平家の落人たちが追っ手をのがれて
不便きわまりない急傾斜地をわざわざ選んで生きながらえたところ。

九州ではご存知、五家荘。 どういうわけか、こういうところが好き、やっぱり
変わり者か。 琴平神社からドンドン山を登って2~3時間、かずら橋で有名な
祖谷渓の一角にある民宿を予約しておいた。

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おーいと呼んだが返事がない。 草枕ではありません。玄関があいているのに
だれもいないようだ。 しばらく待ったが返事がないので 近くのかずら橋を
見物にでかけた。  ロープやワイヤーのない時代にかずらを編んで渓流に

かけた橋で 足元を見ると渓流が丸見えのため恐ろしい。 かずら橋は数箇所
あるらしいがここは人が来やすいためか500円も通行料をとられた。
よく見るとかずらのなかにワイヤーロープが入っていた。

民宿は名物の女将とこの地域について話をしながら山菜の食事を頂く。
10部屋くらいありそうだが私と量子のみ。この時代あまり人気がないのか?
明日は西日本第2位の剣山(1.955M)へ挑戦だ、 早く寝よう。

三日目  2013.04.28  祖谷渓~大歩危、小歩危(おおぼけ、こぼけ)~
剣山~徳島市

今日は目のくらむような深い渓谷を眺めながら剣山の登山口へ。
以前登った剣山は深い霧の中であったため印象が薄いというかどんな山か
確かめたかった。  剣山は遠くて奥深い。 延々とクネクネした山道をどこまでも

走る。 ゴムボートが7~8人を乗せて激流を下っている、刺激的で爽快だろう。
何隻かの一つが転覆している、それでも楽しそう。
200Mもある谷底があり小便小僧が立っている。谷を覗いたが恐ろしい位高い。

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以前も車で来たがほとんど覚えていなかった、それでも突然登山口に出た。
その景色は覚えていた。 柔(やわ)になった我々は迷わずロープウエイで
8合目まで15分でいってしまう。 それから45分歩くのだが余りにも物足らず

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途中で回り道を選択したがこれが正解であった。一の森というピークを訪ねる。
この時期に谷の至るところに雪が残っている。高い山であることを思いしら
されながら歩いていくと、驚かされることになる。

標高1.879Mあり九州の全ての山より高いのだ。しかしこんなによいところ
と初めて知った。一の森周辺の景観は素晴らしく四季折々の草花と草原があり

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のどかな景色がひろがり 美しい山小屋風の市営ヒュッテが宿泊意欲をそそる。
こんな高い山で何でこの景色が可能なのか不思議であった。
機会があったら是非2泊位して遊びたいと思わせる魅力がある。

子供2人連れの家族と熟年夫婦2組が この おだやかな景色と雰囲気を
味わっていた。剣へのルートはたくさんの登山者がいるのにここは静かで
しみじみと高原のすがすがしさを楽しめる。 おやつと飲み物を頂いて

このめったに出会わない素晴らしいリゾート地を記憶にとどめようとした。
知る人ぞ知るといったこのような穴場は 誰も積極的に話そうとしないので
広がらないのだろう。

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草原と熊笹のみの阿蘇のやまなみハイウエーのようなハイキングコースを
ピークが見えている剣山へ向かって30分だ。

ここでこの山の伝説をひとつ。

源氏に敗れた平氏が 安徳天皇の剣をここに埋めたという話。
ユダヤの陰謀論のなかにもこの話がでてくる。 ユダヤのアーク(聖櫃)が
埋められているという話。

前回の登山の時はガスで全体が見えず上記の話が理解できなかった。
晴天に恵まれ一の森から剣山(太郎ぎゅうと呼ばれている)そして次郎ぎゅう
〔2の岳)まで全体を見渡すと高山とは思えず人工の山のように見えてしまい、

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こんな突拍子もない話が出来上がったのであろう。
頂上は広大な草原でどこが三角点なのか探すほどである、もちろん一番高い
ところはすぐわかる位の高低差はある。 100~200人は座ったり寝転んだり

できるようなウッドデッキが3~4箇所もある。 皆思い思いのデッキで座ったり
寝そべっている。 気持ちが良いところだ。 四国中が見渡せるように思う。
ほぼ頂上だが少し低いところに山小屋がある、以前インスタントラーメンを

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食べて美味しかった記憶がよみがえる。 たくさん販売しているためか中々
美味しい。 気候の良いときには一の森をふくめてわざわざ泊まってもイイナー
と思う。 とのかく天候にも恵まれてあまりにも気持ちが良かったので随分

ユックリしてしまった。 時々来てもいいなぁと思うが、、、、道中が遠いなぁ。
下山開始 寄り道しないでスタコラ下りる。
今日の泊まりは徳島県庁前のビジネスホテル。 どんな所かなぁ

結構家族連れの多いまあまあのところであった、 レストランもあり賑わって
いたが 歩いて15分位で繁華街に着くという、シャワーの後歩く。
しばらく街をうろついてから居酒屋に入る。 ここが当たりであった。

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隣り合わせた知らないお客さんたちとおしゃべりをして徳島の気質の少しを
味わう。 楽しかった、 再び来たらきっとここにはいるであろう。

四日目  2013.04.29  徳島~鳴門大橋~四国霊場めぐり~ 松山

鳴門大橋は大きい。本四架橋は皆大きいのだ。 人間が小さいのだ。
架橋の道路部分の下に遊歩道〔有料)があり海を見ながら恐々歩く。
丁度潮の動く時間であったらしく、渦が見えて来る、渦はいくつもできる、

50メートル位の高さから見るのであるからたくさん見えるのだ。しかし船から
見たほうがスリルがあってしかも大きく見える。昔は船に乗って見に来た。
それでもこうして車で来ると船の待ち時間も無く簡単に渦潮が見物できてしまう。

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これでは観光船はさびれる一方だろう、時代は動く、同じところに立ち止まって
いては年寄りといえども取り残される時勢となった。 早すぎるのだ。
そう思うこと事態が年寄りになった証拠である。

四国の霊場は数年前と十数年前に二度ばかり中途半端にお参りしている。
元々信心もないくせにひやかしの、観光気分で参加しているのだから
熱心に心からお参りしている人々には申し訳なく思いながら。

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霊場は1番から~11番札所まで訪ねた。 途中で量子が忘れ物をして
何番か戻ったりしながら。
ある時面白い発見があった。

お参りする方はご存知と思うがお寺を廻りながら奉納経帳に達筆で記帳して
もらい それが記念というか証拠みたいなものになるのだが、太筆で難しく
有難そうな字がさらさらと書かれその上に朱で大きな印章がどーんと捺され

ていると信心のない身にもなにやら尊くありがたい気持ちになるものである。
最近は外国の人のお参りが多いと聞いていた。 英語の案内がいろいろ
目につくのだが ふと気付くと記帳所のことをスタンプスペースと書いてある。

びっくりしながらも納得した。 しかしあの尊い奉納経がスタンプとは やはり
日本は文化的にも情緒的にも精神的にも世界で最も尊い国に違いない。

以前の札所巡りとあわせて3分の2位まわったのだろうか? いい加減やな~
この辺りで松山へ向かおうかということになった。今日の宿は全日空ホテル
なので楽しみである。

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さすが 宿はよいところを占領していた。中心街のど真ん中であった。
全日空ホテルといえどもホテルは面白くない。 街へでかける。
散歩がてらほどよく歩いたところで魚の料理を訴えている店を見つけた。

ここは大当たりであった。 徳島の居酒屋よりも印象深い好い店であった。
ホテルもやはりビジネスホテルとちがって快適であった。

五日目  2013.04.30   道後温泉、松山観光~佐多岬~佐賀関~湯布院
全日空ホテルとなると朝食が楽しみになる、やはり材料が違うのだから、
と思いつつ九時三十分までにレストランに入ればよいと聞いて6時30分に
ホテルをでて道後温泉の朝風呂を目指した。 それも電車でいくのだ。

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懐かしい、熊本の電車より古い、漱石も乗ったであろう昔の蒸気機関車が
飾ってある道後温泉駅につく。 何時みても建物の趣がすばらしい重要文化財
だけのことはある。古い趣は日本の世界に誇れる文化であろう。

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温泉は四度目か? 山鹿のさくら湯がよく似た造りになっている。泉質は山鹿
のほうがすぐれていると思う。
のんびりと朝風呂のあとチンチン電車でゆっくり帰り豪華な朝食を頂く。

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とても良き気分。 小雨が情緒をかもし出す、ホテルの前が松山城でその
森の緑が小雨にとけこんでいる。 森の中ほど高台に高級そうな建物が見える。
聞けば愛媛の財産家が迎賓館として建てたという。 その右には大きな

文化的施設がある、丁度 明治の開花期に活躍した愛媛の偉人達を特集
しているという。 食事がすんだらこの辺りを見物してみよう。
先ほどの迎賓館とおぼしき建物は 何かの展示会に利用されていた。

レストランでもカフェーでもロケーションがいいので繁盛するだろう。
文化会館では嬉しいことに最も尊敬する司馬遼太郎の「坂の上の雲」の
紹介であった。 NHKのドラマでもあったがワクワクするような素晴らしい
小説でよく記憶に残っている。

愛媛が産んだ俳句の偉人として正岡子規とそのおさななじみの秋山真之がおり
その兄の秋山好古と兄弟が日露戦争のときそれぞれ重要なポジションに就いて
大活躍をし 日露戦争の勝利に貢献するという話。

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遅れてきたアジアの小国が先進国の白人国家に初めて戦いを挑んだ時期で
祖国愛を多少でも持っている人ならば面白くないはずがない。
この勝利でのぼせた軍人達が太平洋戦争までつっぱしってひどい目に

あったことは誰でも知っているとおり。 司馬遼太郎先生も戦争に狩り出されて
おり 大本営と参謀共の無能と愚かさと罪深さを何度も書かれている。
この時期 秋山兄弟がとても明るく描かれているのがとても気持ちが良い。

小説とテレビドラマを思い出しながらじっくり楽しんだ。 松山はこのほか夏目
漱石が正岡子規と交流があったとしている。

松山をあとにして佐多岬へ向かう。 細長い半島を30キロあまり高速並みの
スピードで走った。。松山で遊びすぎたのでフェリーの時間が迫っていたのだ。
なんとかフエリーに乗れ 別府に到着。 そのまま湯布院へ。

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湯布院では知人夫婦と亀の井別荘で食事を予定していた。亀の井別荘の
食事はほんとうに美味しいのだ。  旅の疲れが取れていく気がする。
保養所の快適空間でグッスリ寝てしまう。

六日目  2013.05.01    湯布院~熊本

以前 旅をしたルートと重なっており何度目かの場所もたくさんあったが
月日は流れ、歳も重ね、受け取る者の心も変化している、 非日常性を
楽しむ感受性が残っている為か、あらゆる旅先が新鮮であった。

好奇心は衰えているどころかますます拡大中、 ヘミング、ウエイのように
旅の途中で終わりになる、そこまでは無いだろうが素晴らしい。
では又お会いしましょう。

 

 

5月のベビーマッサージ終了と6月のお知らせ

5月26日ベビーマッサージは楽しく終了しました。

今回はめずらしくみなさん初めての参加でしたが

じょうずに楽しそうにできました。

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5名の参加でした。

*ななみちゃん 3ヶ月 上の子はベビーマッサージはしたけれど この子は初めてで

これからもマッサージをしてあげたいとおもいます。

*かいと君   一才半 久しぶりでしたが忘れている所を思い出してよっかった。

寝る前オイルを見つけては「マッサージして」とおねだりします。

*太陽君   3ヶ月  とても気持よさそうにしていたので良かった。

6月は上の子 もつれてきたい。

*モー君   7ヶ月  気持ち良さそうにしていました。おやつの特性

野菜スープがおきにいりになったみたい。

*はるかちゃん 7ヶ月 寝かせると泣くのですが、今日のマッサージは

喜んでいたのでとてもよかったです。

 

次回6月の ベビーマッサージは 6月24日(水)です

*時間      10.00~11.30

*持ってくる物  バスタオル オイル 着替え

シート

参加費    1000円

おやつがあります

楽しみにしてね~

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倉敷、尾道、鞆の浦、しまなみ海道

2015.04.29~05.02 ゴールデンウイーク
瀬戸内の文化を訪ねました。(倉敷、尾道、鞆の浦、来島海峡、今治、道後、)
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キャンピングカーで旅をしている頃訪ねてはいるが 何故か懐かしく気になる
町が何箇所かある。その一箇所が岡山県倉敷であった。

人口48万3千人余り西日本では大阪についで2番目の生産量を誇る工業都市
である。 というと いかにも無粋な町のような印象を受けるが とんでもなく
ロマンチックな町である。

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昔は毛利一族の宇喜多秀家が治めていた。 江戸時代は池田藩であったが
今回のご案内する倉敷美観地区は天領として代官が治めていたという。
ドラマによく登場する悪代官ではなかったらしい。

今回の旅は国の近代工業遺産でもある倉敷美観地区をじっくり味わった。
腰をすえてユックリできたのは 何と言っても泊まった宿のお陰といっていい。
倉敷を全国区の観光地にした恩人は大原孫三郎と言う倉敷紡績(クラボー)

の創業者である。明治の半ばに日本の近代工業の先鋒としてクラボーを
立ち上げ その利益を文化的財産に投入した尊敬すべき偉人といっていい
だろう。

泊まった宿というのがアイビースクエアといって美観地区の真ん中に位置
しており歩いてすべての観光ができる。
この宿はクラボーの紡績工場を改造した赤レンガ造りの建物で 蔦(つた)

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が壁をびっしりおおっている。 蔦の絡まる~チャペルで~、、、ペギー葉山
がうたっていた そんな感じ
なかなか趣のあるホテルであった。

つたの ひろば と言うロマンチックなホテルから出たとたん そこは観光地
そのものであった。倉敷川という運河を中心にいつでも 時代劇の撮影が
可能な景色が広がっている。 川の両端には柳の木がそよいでおり昔の

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公共的な役所や米を検量する施設があり 大原家や別邸、庶民が入るのを
ためらうような料亭旅館が並んでいる。隙間隙間にはいろいろな観光地特有
のみやげ物の店、カフェー、レストランがならんでいる。

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運河には観光船がといっても6人乗りのボートだが 船頭が説明をしながら
竿で移動している。 両岸の道は多くの外国人を含めて老いも若きも楽しそう
に歩いている。 平和日本の典型というところか?

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中心は何と言っても大原美術館であろう。ギリシャ神殿を思わせるような入り口
にはロダンの作品が両側にたっている。
ここまできたら絶対に入らなければ文化人を気取っている人間として許され
なかろう。

15年位前に入ったとき その絵画や美術品の多さに圧倒された思い出が
あり今回もそうなるかと覚悟した。
歳をとったのか 2度目だからか おおいに楽しめた。

のっけからモネ、ゴーギャン、マティスと相変わらず圧倒する。
しかしこちらも歳を重ねている、ドガ、ルノワール、セガンティーニ、ロートレック、
ユトリロ、ミレー、セザンヌ、そしてエル・グレコ、ピカソまで 凄いすごいなー

2度目という余裕でタップリ 大原美術館を堪能した。 と思ったら児島虎次郎
やオリエント美術館もあると言う。 これは翌日に延ばした。
児島虎次郎というのは大原孫三郎の命をうけてその資金力をいかして

ヨーロッパを渡り歩き絵画などを集めた画家であった。彼は絵描きの修行
もしながら収集をして一流の絵画に成長した。 そして多くの画壇の先輩
達から東京で活躍するよう薦められたが倉敷から動こうとはしなかったという。

きっと孫三郎が好きでたまらなかったのであろう。
孫三郎の長男の総一郎は後を継いだがこの人も文化人でドイツのローテンブルグ
で中世都市の素晴らしさに出会い倉敷の美観地区を思いついたといわれている。

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2世代にわたって大原家が倉敷を繁栄させ その後もかかわっている。
川沿い道にそって町並みが2本も通っているがここには食事処とお土産やが
かぞえ切れないほど並んで賑やかで華やいでいた。

夕食はホテルをやめて倉敷駅まで10分歩いて魚料理を食べたが観光地で
本物を捜すのは難しいと 、また悟った。アイビースクエアの広場でビールを
飲んだがとても優雅なひとときを感じた。

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翌日は船頭の説明で運河の景観を楽しむ。 15分だが500円であった。
午前中は倉敷でゆったり。
午後から尾道に向かって出発、高速で30分。  明治創業の老舗西山本館

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昨年泊まった京都の柊やにソックリ、 女将にそう伝えたら、とんでもございません
と謙遜された。 日本建築の見本のような数奇屋造り。こういうの好き。
荷物を置いて 鞆の浦へ。 今回旅の最も興味ある町だ。

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鞆の浦は豊後水道と明石海峡の丁度真ん中にあたり動力の無い時代の潮待港
として栄えた。 村上水軍などが活躍したところでもある。
風光明媚でもあり 狭い港町で近代化しなかったこともあり昔の風情が

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色濃く残っている。この町もすべて歩いて回れる広さでなんとなく落ち着く。
最大の興味が坂本龍馬。
彼はこの港を中心にグラバーなどと貿易をしていたのである。

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グラバーはヨーロッパの進んだ鉄砲をはじめとして武器などを持ち込み
日本の貴重な金や絹製品を流失させるいわば武器商人であった。
龍馬はこれで稼ぎかつ影響力をたくわえ、大きな活躍の源泉をつくった。

彼の船がいろは丸150トン、500両で借りていたらしい。
ある時 紀州藩の860トンの船と衝突した。小さいほうが沈没。 やり手の龍馬
が鞆の浦で事故の賠償について話し合いをした顛末が面白い。

龍馬の言い分、船購入代金4万5千両、積荷が鉄砲5千丁で3万5千両
しめて8万両、  紀州藩に請求した、すったもんだのあげく7万両にて決着。
あとで沈没船を捜索したところ船は借り物、 鉄砲の影は無し ということが

判明したという。 これがのちの暗殺につながったという説がある。
龍馬先輩やるねー ヤオイカン人物の面目躍如のエピソードではないか。
これくらいなければ後の明治維新の功労者にはなりえなかったであろう。

鞆の浦 なかなか風情のある楽しい町だった。狭いので尾道や宮島のついで
に訪ねることをお薦めしたい。

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尾道の西山本館に寄って夕食まで尾道商店街を歩くことにした。
アーケードのあるところまで1分、 金曜日だからかガランとしている、
最近の日本中、地方都市の典型的な姿であった。

尾道は風情のある観光地なのでここまでは落ち込んでいないだろうと
思っていたが *尾道 おまえもか*であった。
そこそこ こだわりやさん が変わった店をだしているものの所詮 線香花火
位が落ちであろう。

尾道駅まで15分歩いた。 立派な駅舎と観光向きホテルとその施設、そして
市民用の会館、トレーニング施設、日本中金太郎飴症候群。

帰りは尾道水道に沿って歩いた。尾道の真向かいに向島があり幅150~200M
位の運河のようになっている。これが3キロMばかりつづいている。川岸は景色
の良い散歩道で有名な作家の絵画が焼き物になってたくさん展示されている。

この屋外美術館はなかなかのものであった。 尾道は映画*東京物語*で
描かれており印象深い。 笠智衆と東山千栄子演ずる年寄り夫婦が東京に
出て行ってしまった3人の子供たちに、歓待するから上京するようにいわれた。

喜んで上京したものの成功したといっても話ほどでもなく2日目以降は邪魔者
扱いで皆それぞれ日常生活で一杯、急逝した末っ子の嫁の原節子が一番
親切にしてくれたが やはり遠慮があり10日以上の旅の計画を3日で切り上げ

帰ろうか、といった矢先東山千栄子が病気になりあっさり亡くなってしまい
笠智衆が(もっとやさしくしてやればよかった)とつぶやく物語。
心にひびく方いませんか?

ところでこの映画 最近世界中105人の映画監督の投票でこれまでの映画の
なかで最もすぐれた作品に選ばれたそうですヨ。
小津安二郎監督 すごいですネ。

西山旅館の懐石料理はさすがに 世界遺産になるだけのことがあった。
よくここまで手間をかけて工夫をしているものと感心する。
味はもちろん うすあじ で食材の特徴がよく出ていて云う事なし。

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翌日は尾道のハイライト 千光寺に登る事に。 といってもロープウエイ
120M位の立田山ほどだが中身が違う。 志賀直哉や中村憲吉などの作家が
住んでおり文学の道として美術館が多い、高台ゆえ尾道水道や しまなみ海道

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の大橋の眺めがすばらしくカフェーもたくさんあってあきることがない。
広島といえば安芸の宮島に決まっているが 昨年ほとんど歩いた。弥山という
世界遺産(500M)にも登った。

ゴールデンウイークに入っているので このあたりで帰りのことを考える。
渋滞が気になるのだ。 広島-防府ー下関ー大宰府ー広川ー熊本
渋滞常習地帯でこのルートを戻ると思っただけで気が滅入る。

四国に渡ろう、 決めた。 目の前が向島フェリーが2-3箇所通っている。
料金は100円とある。 となりの量子は60円 合計しなくても160円
信じられなーい?  5分で着いた。 7-8キロの向島 周遊

しまなみ海道に入ったら170円安かった。 ところで本四架橋は渡ったら一万円
と聞いていた、実際は尾道~今治まで2850円であった。 ETCがないと
4850円なのでどうかご用心のほどを。

しまなみ海道に沿った島々は主な島だけでも6つある。 この島々を拠点と
して栄えていたのが村上水軍であった。
秀吉によって淘汰されたが海賊でもあり大変な繁盛であったそうな。

途中 伯方島で降りてみたがやはり 過疎の様子がみられた。 歴史ある所
がさびれていくのはなんとも寂しい限りである。
このルートで感動したのは 来島海峡大橋であった。

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3~4箇所無人島を足場としてはいるが連続した橋のように見え5~6キロ
の物凄い迫力であった。今治北のSAでその迫力にしばし見とれてしまった。
来島海峡は瀬戸内海で大型船が通過できる唯一の場所であり物語がある。

坪内寿夫 ご存知だろうか。 再建王、清商(政商ではない)、四国の大将
佐世保重工社長、関西汽船オーナー、ダイヤモンドフェリーオーナー、
来島ドック社長でありながら きりがないほどいろいろな尊称がある。

ひとつだけ物語を挙げよう。 柴田錬三郎というベストセラー作家がいた。
この人が(四国の大将)という小説を書いた。坪内のことで山下清ではない。
これに感動して土地の高騰しているバブルの時代に9ホールのゴルフ場を

造って柴田錬三郎にプレゼントしたというのである。 あなた専用ですといって。
昔は物凄い人物がいたようです。  ところで どこに泊まろうか?
道後温泉は昨年をはじめ何度も泊まっているし、高いし、なんといっても

満室だった。 久しぶりに石鎚山の麓 面河渓谷にでも泊まろうか、と考えた。
大洲はつまらない、西条、新居浜、宇和島とイロイロ考えたがいづれも面白く
ない、 今治から松山に行く国道があるのに気付く。千メートルを超える山の

中腹に温泉があると言う、山好きの身としては選択の余地はない。
鈍川(にぶかわ)温泉と言う。幸い予約が出来た、よかった、よかった。
温泉旅館が数件あったが本当に山の中で、半端でない掛け流しの気持ちの

良い温泉であった。食事はまあまあというところか、ゴールデンウイークで
当日予約の出来る宿はこんなものだろう。 昨日、辺りの山を散策したが
さびれているだけに静かだがなかなか良い所と思う。

そろそろ熊本へ帰ろうかと思い出し、ルートを考える。
佐田岬~佐賀関、八幡浜~佐賀関、電話をするがいずれも予約で満員という。
港に並んで空きを待つしかないのか? あきらめかけていたら量子が

八幡浜~臼杵の空きを見つけた。16時発という、丁度よかった、なぜなら
もう一箇所いきたいところがあったのだ。
伊予から八幡浜への国道378号、通称夕やけこやけライン。30キロにわたって

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伊予灘に沿った海岸線を気持ちよく走った思い出が強く残っている。双海
(ふたみ)道の駅で眺めをゆっくり楽しんだ。 その先に伊予灘に面した
レストランがあり、そこでも海の爽快さを楽しんだ。 石川県能登半島の背中

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に当たるところに なぎさドライブウエイという海岸の砂浜を走れるところがあり
サーフで走った楽しい経験を思い出した。
臼杵までは2時間半の航海であった。四国は山が深く大好きなところだが、

フェリーという制約がある、良い所は遠きにありて思うものかも知れない。
次回は昨年行った宮島と剣山、祖谷渓、徳島、鳴門海峡にしよう。
乞う ご期待?

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4月 ベビーマッサージ終了です。5月のお知らせ

4月28日 ベビーマッサージ 楽しくおわりました

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初参加のお友達も喜んでいます

5月は下記のとおりベビーマッサージを行います

期日      5月26日

時間      10時~11時30分

持ってくる物  バスタオル シート オイル

着替え

参加費     1000円

楽しいティータイム付です

 

3月のベビーマッサージ終わりました

3月ベビーマッサージは

3月24日楽しく終了しました

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桜が満開のよい日でした

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白い小さな花は ひとりしずかといいます 可愛いですね

では4月のベビーマッサージでお会いしましょう

4月 ベビーマッサージのおしらせ

4月のベビーマッサージは下記の通りです

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期日      4月28日

時間      10時~11時30分

必要な物    バスタオル シート オイル

場所      マタニティハウス

本格的な春がやってきました。

みんなで楽しく体をほぐしましょう。

 

北岳の思い出

2000.08.01 北岳

いつまでNO.2の北岳が登場しないのか?  大変失礼いたしました。
南アルプスの最高峰で.日本でも富士山につぐ高さを誇りながら.なぜか人気がうすい北岳
である。

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北アルプスでは 穂高. 槍 を筆頭に知名度の高い名峰といわれる高山がひしめいている。
それに加えて上高地.乗鞍.松本と観光地が近くアプローチにもめぐまれている。  温泉も多い。

南アルプスにアプローチする方法をすぐに思いうかべることのできる人は相当な旅の達人で
あろうと推察できる。  今回は富士山に登頂した後だったので本栖湖から奈良田温泉にはいる。
白鳳渓谷を通って北岳のふもとの広河原に向かった。このルートがものすごい難所であった。

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未舗装の狭い狭い道を延々と15キロMも走る。 気の弱い人は途中で不安になり行き着けない
と思う。  南アルプス林道はオフロードとしては最高。  4輪駆動であったから無事に行き着けた
気がする。 車が故障でもしたらぞっとする、何故ならあのコワーイ熊さんたちがウヨウヨしている

場所なのだ。 幸いにも広河原にはロッジがある。  熊が怖いのでロッジに泊まろうと量子。
人気が無いとはいえ北岳、間ノ岳、鳳凰三山の入り口である。 すぐ北には甲斐駒ケ岳、北西には
仙丈ケ岳が迫っておりそうそうそうたる名山に囲まれている。 上高地より標高が低そうなので

ずいぶん山奥に入り込んだなぁ という感慨をいだく。 高い山に囲まれている割には開放感が
ある。富士川の源流なのに広々とした河原でとても気持ちがよい。 登山者はすくない。
それとも もうとっくに出発したあとなのか。 こんな具合でいつもスタートはおそいのだ。

川釣り愛好者の自分はゾクゾクするような気分。 上流にまったく人の住んでいない川。
どこまでも透きとおった清流。 豊富な水量。 テンカラを気兼ねなくふりまわせる広々とした川原。
先行者の心配のない自分だけの川。 あのカワイイ熊たちといつ出っくわすかも知れない緊張感。

最高 最高 天国ダァー。    と喜んだのもつかの間、同行者が釣りに向いていなかったことに気づく。
量子である。 こんな山奥についてきてくれる事に感謝しながらも彼女は熊が怖いのだった。
男ばかりのパーティであればとことん熊に出会うまで釣りを楽しめるのにと 思いつつそんな

メンバーでは何日もの旅行はたいくつするかケンカするかで 続かないであろうと思う。 矛盾?
北岳に挑戦できるだけで有り難い。 一人では楽しくないのだ。 大体 仕事が現職のときは
仲間はほとんどスケジュールが合わなかったし経営者で山好きの人に逢ったためしがないのだ。

そんな訳で量子と会話を楽しみながらハードな標高差にいどむ。  北アルプスのように熟年女性
が ガヤガヤいいながら団体で歩く姿はここではまったく見られない。心細くなるほど静か。
さすがに道はしっかりしている。 標識もキチンと整備されている、登山者が少ないとはいえ

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南アルプスの主峰だけのことはある。ピークに近づくに従って岩盤だけになってくる。
ところが いたるところにお花畑が広がっている。 白馬岳をはじめとしてお花畑をいろいろ
たずねたが これほど種類と 数の多い山は 初めてで二人とも感動、感動の連続で疲れを

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あまり感じないうちに突然のように北岳頂上におどりでた状態であった。 出発して7時間30分、
険しくハードなコースだったが苦にならなかった 楽しい時間は短く辛い時間は長いのたとえどうり
である。山は良い。 人は何故山に登るのか。 いろいろその時で違うが私の今の心境は好奇心

を満たしている。 高価な好奇心だ。 宴会も色気も出世欲も賞賛もあまり気にならなくなった今
好奇心を追求するより他に何か面白い事がこの世にあるのだろうか。ノーベル賞でも もらったら
その受賞式はさぞかし魂がふるえるだろうな~、  可能性全くなし、 できる範囲で楽しもうよ。

 

北岳 3193M、 No,3の奥穂高岳 3190M わずか3Mの違いである。しかし奥穂高岳には
2Mを超える石垣がつくられていた。 きっと北アルプスが好きでたまらない人達がNo2を味わい
たくて創ったのであろう。 柔軟性や情緒と無縁な国土交通省のお役人がこんな人工物を

認めるはずがなく、ただの石垣に過ぎないものとなっている。 私は?といえば奥穂高岳の登頂
の際にはそこによじのぼり バンザーイと叫んだ記憶がある。 いい気なもんだ。
北岳の山頂はガスで展望は期待できなかった。 女房はじめ誰も認めてくれないが自分ほど

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普段の行いが立派な人間でさえ、こうした気象にであう事がある。 ただ平均的な人より多少
マシな証拠に9割近くが良い天候に恵まれてきた。 なぜなら予報の悪い時は登山を断念する
ことにしているのでアッタリマエ でありなにも人物が良いも悪いもないのである。

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100M下に北岳の肩(3000M)がありその小屋に泊まる。 高山特有の雰囲気がたまらない。
その雰囲気 ? なにかって?  行ってみて下さい。 いじわるって? 行かなきゃわからん。              ・
そうねー、 何というか、 空気が薄いというか、 きれいというか、 旨いというか、

とにかく静かで、 8月というのに寒いくらいで、 不愉快な行為をする下品な連中がおらず
テレビでおなじみ 吉本興行の人のあげあしをとって笑わせるバカタレントを見ないですむ。
どういう生き方が自分にとって快適なのかを考えさせて原点に戻してくれるのだ。

この歳になってもストレスの原因をきずかせてくれるのは、やはり山登りだろう。 現代は
あらゆる情報や知識は多ければ多いほど有利で得になるという観念が共有されている気がする。
そのためテレビで高い視聴率を取ろうとするならクイズ番組が一番手っ取り早いとされている。

しかしクイズ番組にでてくる知識で実際に役に立つことはほとんどないと言っていい。
なんとなく知りたいという欲求が満たされるだけなのである。 くだらないゴミみたいな知識を
懸命になって求めて喜んでいる気がする。

ときおり暇でながめていると、高学歴やインテリが売りのタレントが成績が良い、やはりというか
知識というのは重いわけではないので多くても邪魔にはならないのである。 知識について
昔聞いた住職の話はおもしろかった。 菊池の竜門ダムに流れ込む最上流に鳳来という

部落がありそこから離合はできないような細い山道を数キロ登ると曹洞宗の古刹がある。
永平寺の副住職クラスの人が派遣されていると聞いた。 聖護寺という熊本県の史跡である。
15年程前のことだが雲水が8人修行していた。 外国人が一人いた。

女人禁制が原則のはずだが寺の入り口に老婆が住んでいた。 老婆といっても背が高くほっそり
としてまっすぐのびた姿勢が印象的であった。 首も ほそく ながく若い時はそうとうな美人で
あったろうと想像した。 85歳位とそのとき思ったので今ではもう亡くなっていると思うが、

その女性が先代の住職の思い出を話してくれた。 どういうわけか昔から高僧とか悟った人は
山奥に住み海の近くは聞かない。なぜだろう? ま、いいか、 その人は昔から修行をしており
町での生活はほとんど知らないのに、どんな難問でも簡単に解決したという。

村人達の困ったときの相談相手であった。新聞、ラジオ、テレビ、電話、電気、水道を村人が
自分達が無償で提供すると願い出ても断ったそうである。時代が少しずつすすみ住職も齢
を重ねて来た頃、村人がこの時代になってあまりにも不便ですと何度も勧めに行ったところ、

とうとう (わかった、お前達の好きにしてよい) とのこと 喜んだのもつかの間
(ワシは2~3丁程奥に住む)      新聞、テレビ、情報交換その他何もせず
それでも村人達の誰よりも知っており知恵があったという。
若い頃 呑めもしないのに情報に遅れてはならぬと、毎晩のように飲み屋街に出ていた。
仲間たちが自分より情報に通じるのが怖かった。 今考えると若かった。
そしてつまらぬ時間を過ごしたとおもう。

仲間と切磋琢磨してお互いに成長する。 カッコイイ言葉だ。 大人の社会勉強、中洲産業大学
とは タモリの言葉。 もっともな尋常な青年の成長過程と思う。
悟りに近い高僧の話であった、一般の私達とは少々違う世界に住む人の様子を思い出して

いたのだった。 時おりこういう人のエピソードを聞くと いかに普段からつまらぬ知識や情報
をありがたがって 忙しがり 寂しがり ライバル心を燃やし あるときは嫉妬心に狂いもだえて
いたことか。 こういう生活をいつまでも続けていると

結局仲間以上の知恵がなくなり普通の横並びの人格がつくられていくのだ。
しかしこのほうがまわりとの摩擦がすくなく平和に暮らせる。 摩擦が少ないほど
打たれることも少なく気ずきも少なく円満だが平凡な人柄が創られていく。

南アルプス 北岳の話がどこへいってしまったのか。 このあとNo,4の高さを誇る間ノ岳に続く
話があるのに。

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数少ない経験によると中州産業大学を早めに卒業したり中退したようなタイプが脱サラする。
このあと指導者なしの人生で 辛酸をなめることになる。 運がよければ一時成功したかの
ような時期が訪れるのだが 大抵は若さゆえ天狗になり調子にのっているのでほとんど

ふりだし以下に戻る。 しかしこういう経験ができる人は前述したように運が良いのだ。大抵は
一時の成功も見ずにうずもれてしまう。 いずれにしてもこういう人生を選択した人々は順調な
生活をして来た人とくらべてみると特殊な体験をしているだけに 味わいのある人が多い。

ただし 夜逃げや四面楚歌のごとき辛酸をなめている人もいるので、驚くほどかたよったり偏屈な
人生観や哲学をふりかざすのが多いのもこれらの人々なのである。
順調な人とそうでない人の両極端を較べたが、実際の人生は無限の段階があり両方を備えて

いる人もおり簡単に分類、色分けなどできない。 しかし人生経験をだてに重ねて来ておらなけ
れば完全とはいえなくても大方の人物の見当はつくようになるものである。

一時 起承転結を忘れて思いを述べていたが やっと転結のくだりに着いたようだ。
知識、情報におぼれてばかりいるとつらつら述べてきたように自分が本当にやりたい事や
自分らしい人生がどんなものか 自分でしかも一人で考えることもせずうかうかと他人の価値観

に振り回されて あたら短い人生を馬齢を重ねる状態にしてしまうのだ。
前述した迷い無き 高僧達はそういった情報のゴミを避けていたのだった。
私はせめて量子と山に登り 無限にひろがる豊かな人生を精一杯味わうことにしよう。

北岳の肩の小屋(3000M)で 至福のひと時を味わっているのだった。
これから間ノ岳に向かう。 それほどの標高差がないのでお花畑を味わいながら山行を楽しもう。

 

3189Mの間ノ岳は北岳に挑む人はほとんど ついでに登る山だが近くに農鳥岳(3051M)
もある、ランキングはNo15位であるが百名山をめざしているわけでもなく、早くおりてなさねばならぬ
ことがあり間ノ岳だけ登頂した。 天候はほどよく 一昨日登った富士山がこんなにも近くに

あるのかと思えるほど大きく見えた。 3000Mの高さから見る巨大な富士山は赤石山脈
(南アルプス)だけの特権であるかのような誇らしげな大きさであった。

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間ノ岳から引き返して北岳荘で休憩。 八本歯のコルを通って広河原へ向かう。
やはりハードなコースには違いはなく難所であったが、 ここだけに咲くという北岳草が
たくさん現れ、 きつい気持ちもついつい慰められて難なく下山。 16時であった。

今日は食事もあるのでロッジに泊まろう。 明日はなさねばならぬことがあるのだ。
川釣り   この事は槍ヶ岳の旅でかなり書いた。 はまる と言う言葉がピッタリの繊細でいて
強烈な刺激をともなっており、 現代の男が人生のどこかの時点で体験したい生き物との

格闘技であろう。  昔から男の証明はどれだけ狩猟できるかであった。
エネルギーが旺盛な男子が青年期以上にさしかかったとき 最もとまどうのがセックスエネルギー
と、それに伴う好奇心の振り向け先である。セックスエネルギーはいうまでもなく昔からこの世の

根本問題であった。 重要問題にもかかわらず一度も明文化されず教育もされずに来たと言う
ことは、いかにこれが個人の裁量、つまり生き方の違いであることを物語っている。
不器用であったり要領のワルイ人がこの世にたくさんいることはご存知であろう。

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この手の人達がエネルギーの使い方で損をした例は枚挙にいとまがない。
エネルギーを正当に爆発させるにはスポーツしろ勉強しろと指導された気がするが何故か
納得がいかなかった思いがある。

比較的軽い犯罪で発散する方法では暴走行為、大騒ぎで祭りの練習、無謀な冒険 いろいろ
思い浮かぶがなかなか難しい。
川釣りは 700M以上の上流、源流でタヌキ、ヘビ、イタチ、ネズミ、時には熊、と出会いながら

憶病な魚にソット忍び寄る静けさを要求され 禅の心境に迫ったかと思った次の瞬間には
この小さな水量の 川のどこに潜んでいたのかと思えるような一尺に近い元気なヤマメと
10分位のバトルを繰り広げることになり 強烈な刺激を与えてくれる。

彼らの命を奪うからにはこちらも相応の礼をつくさねばならない。 と悟ったのは一年位経って
からで 気付くのが遅いのはやはり凡人の証である。

南アルプスの最奥地であった。広河原のさらに奥地に車をとめて 勇躍 イワナと対決しようと
準備して100Mほど先の渓流にはいった。 ふと気配がして後ろを見た。 熊 ではなかった。
量子であった。 熊が怖いのでキャンピングカーで本でも読んでいるはずであった。

なんで来たの?
困ったことになったの、
これから釣りをはじめるのにー なんねー

実はー   チョット外に出たんだけど
うっかり車の鍵を締めちゃったー
エーほんとかよー

真っ青になった。 こんな山奥で熊がウロウロするところで ドーしたらいいんだよー
釣りどころの騒ぎではなくなった。 車の名人が周りをウロウロ。 良い知恵はないものか?
そーだー

キャンピングカーは後ろに窓がある、 そこの鍵はしばしば掛け忘れる。
祈りを込めて開いてみた。  ヤッター  釣りのことは忘却していた。
この後乗鞍の剣が峰(3026M)に登って乗鞍高原で釣りをして帰りました。

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乗鞍高原良い所です。そのうち白骨温泉と一所に登場します。