宮島~剣山、祖谷渓を訪ねて 2013.04.26~05.01 (6日間)
宮島は世界遺産の名前に恥じない素晴らしいところ。 その気になった方は
是非訪ねてもらいたい、実行したほうが得です。
「そう思っているのだが、、、」 と言う言葉をよく聞いてしまう、非常に残念。
よくある情景を一つ。 忘年会でも、歓迎会でも、仲好し会でも何でもよろしい、
ものすごく盛り上がって楽しく記憶に残った宴会の経験が誰にでもあると
思う、 楽しかった記憶をもう一回再現したくて 誰かがもう一回企画した。
こういう経験ありませんか? ところが全く同じ情景は再現されないのが
人生行路なのである。
行く河の 流れは絶えずして しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中
にある人と、すみかと、またかくのごとし。
人生は、重いい荷物をかついで、長い坂道を行くがごとし。
教訓はどこにでもいっぱいあるが現代は医学の常識と同じでおかしなものに
なってしまったものもたくさんある。 ご用心、ご用心
前置きが長くなってしまったが、宮島にはいける時に行っといたほうがいいよ。
といいたいのである。 3回目であるが今回初めて宮島の中,宮離宮に泊まった。
30時間も 宮島にいたのでほぼ完全に歩き回れた。
一日目 2013.04.26 熊本~宮島の一日
宮島の最高峰は弥山、といい535Mの山を含めて島全体が世界遺産となって
いる。日本3景の一つでもあり、厳島とも呼ばれる。
推古天皇の時代が厳島神社の創建といわれる。
平清盛が全盛期に寝殿造りをとりいれるが現在の壮麗な様式は毛利元就の
再建である。
いろいろご託を並べたが、いよいよ旅を始めよう。
宮島は4度目なので今回は弥山登山を目的とした。
世界遺産となってから初めての訪れなので改めてすみずみまで回ろうと
思った、朝の4時半にスタート、関門海峡で休憩しただけで 9時半に宮島口
に到着。 宮島口駅隣接の駐車場に停める。翌日 午前中までの契約で
500円で決着。 安いでしょう? 旅なれている者だけの得意技です。
船着場にはすでに修学旅行の学生をはじめ大勢の観光客がそろっている。
大勢といっても船もおおきい、待つこともなく、10分で宮島到着。
何年ぶりだろう。 満潮の中に大きな朱塗りの鳥居がたっている。
たくさんの鹿が出迎えてくれる、すこし進むと海の中に寝殿造りの赤い
厳島神社が目に入る。何度もみてもすばらしい。写真などでいつも目にするが
やはりこの場所にくるとその荘厳さにうたれ、来てよかったと思う。
宮離宮に荷物をおいて身軽になって神社見物。
挙式を挙げたのだろう、新婚さんと親族が並んでなにやら厳島神社特有の
雅楽と踊りを奉納していた。運よく良いものに出会ったと思ってゆっくり見物。
これも時間の余裕がたっぷりあるから出来る事。
それにしてもいつも思う、よくも海の中にこれほどの大きな神社を造ったものだ。
権力はいつの時代でも偉大なものだ。 いままで時間の都合で見向きもしなかった
裏通りを歩いたところ周囲の神社や旅館、みやげものやなどに気が付いた。
一方で船着場からの参道は益々繁盛といったところであった。
いよいよ弥山へ 繁盛している参道を抜けてしばらく行くと、いかにも老舗と
いった風情の旅館がある、 岩惣本店である。 余裕があればここに泊まりたかった
のだが高額なので諦めたのだった。 いかにもシックで落ち着いていて
いい宿の雰囲気がただよっている。 この旅館次回の目標としよう。
少しずつ登り坂になってきた、もみじの木がたくさん生えている、特有の
やわらかい葉と繊細な枝で新緑がとても気持ちが良い。紅葉谷というらしい。
深い森のわりには暗くならないのはもみじの森のよいところだろう。
秋の紅葉はさぞ見事であろうと想像する。この深くて明るい森を15分ほど
楽しんで歩く、数人の登山者がいる。ここで白状するが登山とはいったものの
すぐロープウエイがある。 ロープウエーとゴンドラを乗り継いで15分、7~8合目位
だろうか,獅子岩駅に到着。 展望台があり付近一帯が見渡せる。 頂上へは
ここから30分の短くはあるが登山であった。 さすがは日本三景に数えられる
だけのことがあった、30分の間にいろいろな物語や伝説が次々に出てくる。
消えずの火といって弘法大使が秘法を修して以来1200年消えていない火とか
錫杖の梅、曼荼羅岩、干満岩、とにかく退屈しないのだ。
伊藤博文が宮島に遊んだとき「宮島は弥山に登らなければその価値がわからない」
といったそうな。 歩きながらこの山は岩でできているのに気付いた。
とにかく巨岩が多い。いたるところに巨大な岩がごろごろしておりその合間を
ぬって歩く感じ。岩と岩が重なり合ってトンネルができておりわざわざ巨大な
クレーンで造ったような道をとおったりしている。そうこうしているうちに岩だけの
開けた場所に躍り出た。疲れを知らないうちに山頂についたような感じ。
くどいようだが山頂は巨岩をきちんと重ねたようなところで屈強な若者でなければ
登れない場所にあった。
展望は 素晴らしいというにふさわしい。近隣の瀬戸内海が一望のもとに見渡せる。
有名な江田島とその港が見える、 中国山地がかすんでいる、 岩が多いため
緑の山全体に白い点がたくさん目立つ、景観として悪いわけではない。
厳島神社の入り口でシャッターを押してやった西洋の夫婦も登ってきており
巨岩の下で再会を確認する。
下山してからも駆け足の観光ではいかないようなルートを楽しんだ。
途中の道に団子やぜんざい、コーヒー、ケーキなどの店がある。
森のせいで見えなかった海が見えてきた、すこし いつもと違う景色と思う。
潮がひいている、鳥居が砂浜に立っている、海のなかに立っているはずだ、
おおぜいのひとが豆粒のように、鳥居の付近にみえる。
干潮の厳島神社は初めてであった、いままで干潮に何故出会ってこなかったのか。
近づくにしたがって日本一大きいといわれる鳥居のすごさを感じる。
大きい本当に大きい。土台の上に乗せているだけと聞いた。 重さだけで持って
いるという。
大きさを感じた後、 まわりにしゃがんでいる人々がたくさんいるのに気が
付いた。 よーく考えてみたら潮干狩りの人々であった。世界遺産の海で
潮干狩りとはなんという豪華なことか。
午前中は海に浮かんだ神社と鳥居を参拝し午後は巨大な鳥居に近づく、
こういう体験は宮島に宿泊できたお陰だろう。
豪華な夕食を頂いた後、宮島に伝わる踊りと太鼓を鑑賞した。
ライトアップした鳥居も泊まった人だけが見ることのできる良い経験だった。
12時間、宮島を堪能した一日であった。
二日目 2013.04.27 宮島~瀬戸大橋~琴平さん~祖谷渓
翌日はゆっくり朝食をすませたあと、改めて神社の周辺を探索し、思い残すこと
なく次に進むこととする。 すでに賑わっている参道を通り船に乗った。
こんぴらさんに久しぶりにお参りしようと決めていたので迷わず倉敷へ
瀬戸大橋は大きい。巨大な基礎の上にのって素晴らしいつり橋となって
見せてくれる。 以前、高松を訪ねた時 坂出までいってこの橋をながめた。
その時の巨大な構造物としての印象がまだ残っていた。
こんぴらさん この前に来たのはいつだったのか。高校の修学旅行を含めて
数回来ており前回は量子と来たのをおぼえている。
ここに来たからにはまず うどんを食べなくてはならぬ。参道の長い階段脇に
元祖や本家が我こそ本物と言い張って並んでいる。 何処でも同じだが
大量の食事をだすところで旨かった印象はめったにない。
長い参道をみやげ店をひやかしながら歩くと余り疲れることがない。
10年ぶり位であっても何となく懐かしい。高校生時代の思い出と重なるからだ
ろうか。金刀比羅宮、こんぴらさんと呼ばれて全国の琴平神社の総本宮でもある。
本宮の展望台からの讃岐冨士のながめは昔と変わりなかった。
本宮から少し下ったところに、お休みどころがあった、 中は超近代的で伝統を
誇る神社と両極端の印象。 キョロキョロしていると折り目正しい上品な支配人
らしきロマンスグレーが立っている。 ただの飲食店の経営ではナイナーと
ロマンスグレーに話かけた。
近代的な内装が この伝統ある神社とあまりにもかけはなれていることを
ぶしつけながら訪ねたのだった。 入り口はコンクリートながら地下室のようで
なかにはいると階段の中腹のために展望の良い構造となっている。
相当な腕の設計士が考えた創りであると思った。 古式豊かな金刀比羅山の
風情を少しも壊していない。 ぜんざいではなくパフェが名物だという。
思ったとおりの支配人にたずねると 並みの喫茶ではなかった、資生堂パーラー
であった。 彼は資生堂を定年退職しふるさとの香川に帰って2度目の仕事だと
いう、そして資生堂の創業者が香川の出身で金刀比羅宮にはいつも相当な
奉納を続けているという。 なるほど、納得であった。
人生いろいろ、こうして故郷に錦を飾れる人があり、故郷に帰れない人がいる。
今日は、これから故郷に永遠に」帰れなかったひとびとが隠れ住んだ祖谷渓
(いやだに、と読みます)へ行く計画。 平家の落人たちが追っ手をのがれて
不便きわまりない急傾斜地をわざわざ選んで生きながらえたところ。
九州ではご存知、五家荘。 どういうわけか、こういうところが好き、やっぱり
変わり者か。 琴平神社からドンドン山を登って2~3時間、かずら橋で有名な
祖谷渓の一角にある民宿を予約しておいた。
おーいと呼んだが返事がない。 草枕ではありません。玄関があいているのに
だれもいないようだ。 しばらく待ったが返事がないので 近くのかずら橋を
見物にでかけた。 ロープやワイヤーのない時代にかずらを編んで渓流に
かけた橋で 足元を見ると渓流が丸見えのため恐ろしい。 かずら橋は数箇所
あるらしいがここは人が来やすいためか500円も通行料をとられた。
よく見るとかずらのなかにワイヤーロープが入っていた。
民宿は名物の女将とこの地域について話をしながら山菜の食事を頂く。
10部屋くらいありそうだが私と量子のみ。この時代あまり人気がないのか?
明日は西日本第2位の剣山(1.955M)へ挑戦だ、 早く寝よう。
三日目 2013.04.28 祖谷渓~大歩危、小歩危(おおぼけ、こぼけ)~
剣山~徳島市
今日は目のくらむような深い渓谷を眺めながら剣山の登山口へ。
以前登った剣山は深い霧の中であったため印象が薄いというかどんな山か
確かめたかった。 剣山は遠くて奥深い。 延々とクネクネした山道をどこまでも
走る。 ゴムボートが7~8人を乗せて激流を下っている、刺激的で爽快だろう。
何隻かの一つが転覆している、それでも楽しそう。
200Mもある谷底があり小便小僧が立っている。谷を覗いたが恐ろしい位高い。
以前も車で来たがほとんど覚えていなかった、それでも突然登山口に出た。
その景色は覚えていた。 柔(やわ)になった我々は迷わずロープウエイで
8合目まで15分でいってしまう。 それから45分歩くのだが余りにも物足らず
途中で回り道を選択したがこれが正解であった。一の森というピークを訪ねる。
この時期に谷の至るところに雪が残っている。高い山であることを思いしら
されながら歩いていくと、驚かされることになる。
標高1.879Mあり九州の全ての山より高いのだ。しかしこんなによいところ
と初めて知った。一の森周辺の景観は素晴らしく四季折々の草花と草原があり
のどかな景色がひろがり 美しい山小屋風の市営ヒュッテが宿泊意欲をそそる。
こんな高い山で何でこの景色が可能なのか不思議であった。
機会があったら是非2泊位して遊びたいと思わせる魅力がある。
子供2人連れの家族と熟年夫婦2組が この おだやかな景色と雰囲気を
味わっていた。剣へのルートはたくさんの登山者がいるのにここは静かで
しみじみと高原のすがすがしさを楽しめる。 おやつと飲み物を頂いて
このめったに出会わない素晴らしいリゾート地を記憶にとどめようとした。
知る人ぞ知るといったこのような穴場は 誰も積極的に話そうとしないので
広がらないのだろう。
草原と熊笹のみの阿蘇のやまなみハイウエーのようなハイキングコースを
ピークが見えている剣山へ向かって30分だ。
ここでこの山の伝説をひとつ。
源氏に敗れた平氏が 安徳天皇の剣をここに埋めたという話。
ユダヤの陰謀論のなかにもこの話がでてくる。 ユダヤのアーク(聖櫃)が
埋められているという話。
前回の登山の時はガスで全体が見えず上記の話が理解できなかった。
晴天に恵まれ一の森から剣山(太郎ぎゅうと呼ばれている)そして次郎ぎゅう
〔2の岳)まで全体を見渡すと高山とは思えず人工の山のように見えてしまい、
こんな突拍子もない話が出来上がったのであろう。
頂上は広大な草原でどこが三角点なのか探すほどである、もちろん一番高い
ところはすぐわかる位の高低差はある。 100~200人は座ったり寝転んだり
できるようなウッドデッキが3~4箇所もある。 皆思い思いのデッキで座ったり
寝そべっている。 気持ちが良いところだ。 四国中が見渡せるように思う。
ほぼ頂上だが少し低いところに山小屋がある、以前インスタントラーメンを
食べて美味しかった記憶がよみがえる。 たくさん販売しているためか中々
美味しい。 気候の良いときには一の森をふくめてわざわざ泊まってもイイナー
と思う。 とのかく天候にも恵まれてあまりにも気持ちが良かったので随分
ユックリしてしまった。 時々来てもいいなぁと思うが、、、、道中が遠いなぁ。
下山開始 寄り道しないでスタコラ下りる。
今日の泊まりは徳島県庁前のビジネスホテル。 どんな所かなぁ
結構家族連れの多いまあまあのところであった、 レストランもあり賑わって
いたが 歩いて15分位で繁華街に着くという、シャワーの後歩く。
しばらく街をうろついてから居酒屋に入る。 ここが当たりであった。
隣り合わせた知らないお客さんたちとおしゃべりをして徳島の気質の少しを
味わう。 楽しかった、 再び来たらきっとここにはいるであろう。
四日目 2013.04.29 徳島~鳴門大橋~四国霊場めぐり~ 松山
鳴門大橋は大きい。本四架橋は皆大きいのだ。 人間が小さいのだ。
架橋の道路部分の下に遊歩道〔有料)があり海を見ながら恐々歩く。
丁度潮の動く時間であったらしく、渦が見えて来る、渦はいくつもできる、
50メートル位の高さから見るのであるからたくさん見えるのだ。しかし船から
見たほうがスリルがあってしかも大きく見える。昔は船に乗って見に来た。
それでもこうして車で来ると船の待ち時間も無く簡単に渦潮が見物できてしまう。
これでは観光船はさびれる一方だろう、時代は動く、同じところに立ち止まって
いては年寄りといえども取り残される時勢となった。 早すぎるのだ。
そう思うこと事態が年寄りになった証拠である。
四国の霊場は数年前と十数年前に二度ばかり中途半端にお参りしている。
元々信心もないくせにひやかしの、観光気分で参加しているのだから
熱心に心からお参りしている人々には申し訳なく思いながら。
霊場は1番から~11番札所まで訪ねた。 途中で量子が忘れ物をして
何番か戻ったりしながら。
ある時面白い発見があった。
お参りする方はご存知と思うがお寺を廻りながら奉納経帳に達筆で記帳して
もらい それが記念というか証拠みたいなものになるのだが、太筆で難しく
有難そうな字がさらさらと書かれその上に朱で大きな印章がどーんと捺され
ていると信心のない身にもなにやら尊くありがたい気持ちになるものである。
最近は外国の人のお参りが多いと聞いていた。 英語の案内がいろいろ
目につくのだが ふと気付くと記帳所のことをスタンプスペースと書いてある。
びっくりしながらも納得した。 しかしあの尊い奉納経がスタンプとは やはり
日本は文化的にも情緒的にも精神的にも世界で最も尊い国に違いない。
以前の札所巡りとあわせて3分の2位まわったのだろうか? いい加減やな~
この辺りで松山へ向かおうかということになった。今日の宿は全日空ホテル
なので楽しみである。
さすが 宿はよいところを占領していた。中心街のど真ん中であった。
全日空ホテルといえどもホテルは面白くない。 街へでかける。
散歩がてらほどよく歩いたところで魚の料理を訴えている店を見つけた。
ここは大当たりであった。 徳島の居酒屋よりも印象深い好い店であった。
ホテルもやはりビジネスホテルとちがって快適であった。
五日目 2013.04.30 道後温泉、松山観光~佐多岬~佐賀関~湯布院
全日空ホテルとなると朝食が楽しみになる、やはり材料が違うのだから、
と思いつつ九時三十分までにレストランに入ればよいと聞いて6時30分に
ホテルをでて道後温泉の朝風呂を目指した。 それも電車でいくのだ。
懐かしい、熊本の電車より古い、漱石も乗ったであろう昔の蒸気機関車が
飾ってある道後温泉駅につく。 何時みても建物の趣がすばらしい重要文化財
だけのことはある。古い趣は日本の世界に誇れる文化であろう。
温泉は四度目か? 山鹿のさくら湯がよく似た造りになっている。泉質は山鹿
のほうがすぐれていると思う。
のんびりと朝風呂のあとチンチン電車でゆっくり帰り豪華な朝食を頂く。
とても良き気分。 小雨が情緒をかもし出す、ホテルの前が松山城でその
森の緑が小雨にとけこんでいる。 森の中ほど高台に高級そうな建物が見える。
聞けば愛媛の財産家が迎賓館として建てたという。 その右には大きな
文化的施設がある、丁度 明治の開花期に活躍した愛媛の偉人達を特集
しているという。 食事がすんだらこの辺りを見物してみよう。
先ほどの迎賓館とおぼしき建物は 何かの展示会に利用されていた。
レストランでもカフェーでもロケーションがいいので繁盛するだろう。
文化会館では嬉しいことに最も尊敬する司馬遼太郎の「坂の上の雲」の
紹介であった。 NHKのドラマでもあったがワクワクするような素晴らしい
小説でよく記憶に残っている。
愛媛が産んだ俳句の偉人として正岡子規とそのおさななじみの秋山真之がおり
その兄の秋山好古と兄弟が日露戦争のときそれぞれ重要なポジションに就いて
大活躍をし 日露戦争の勝利に貢献するという話。
遅れてきたアジアの小国が先進国の白人国家に初めて戦いを挑んだ時期で
祖国愛を多少でも持っている人ならば面白くないはずがない。
この勝利でのぼせた軍人達が太平洋戦争までつっぱしってひどい目に
あったことは誰でも知っているとおり。 司馬遼太郎先生も戦争に狩り出されて
おり 大本営と参謀共の無能と愚かさと罪深さを何度も書かれている。
この時期 秋山兄弟がとても明るく描かれているのがとても気持ちが良い。
小説とテレビドラマを思い出しながらじっくり楽しんだ。 松山はこのほか夏目
漱石が正岡子規と交流があったとしている。
松山をあとにして佐多岬へ向かう。 細長い半島を30キロあまり高速並みの
スピードで走った。。松山で遊びすぎたのでフェリーの時間が迫っていたのだ。
なんとかフエリーに乗れ 別府に到着。 そのまま湯布院へ。
湯布院では知人夫婦と亀の井別荘で食事を予定していた。亀の井別荘の
食事はほんとうに美味しいのだ。 旅の疲れが取れていく気がする。
保養所の快適空間でグッスリ寝てしまう。
六日目 2013.05.01 湯布院~熊本
以前 旅をしたルートと重なっており何度目かの場所もたくさんあったが
月日は流れ、歳も重ね、受け取る者の心も変化している、 非日常性を
楽しむ感受性が残っている為か、あらゆる旅先が新鮮であった。
好奇心は衰えているどころかますます拡大中、 ヘミング、ウエイのように
旅の途中で終わりになる、そこまでは無いだろうが素晴らしい。
では又お会いしましょう。