第三号は日本の真ん中にしよう。
大好きな上高地である。
誰にでも繰り返し薦めたい最高のリゾート地の一つ。 何回行ったろうか。五回.六回
五十年前。徳本(とくごう)峠より入った。釜トンネルが片側通行で崩壊も多く簡単に
通れなかった頃である。トンネルでは幽霊が出るとも云われていた。
そんな昔から感動してきたが裏切られたことがない。
五千尺ホテルの名が示す様に.標高1500メートル。 何もかもが宝石の様に感じられる
別天地。 梓川.澄んだ水とイワナ.河童橋.穂高の山々.全ての景色に心が洗われる気
がする。 ここに滞在しているだけで人間としての品格が上等になってしまう。と
自分だけ思っているのだが. 量子が其の通り認めてくれるか自信は無い。
大半の人々が訪れる季節は.夏に限られてくるが勿論五月から十月まで素晴らしい。
高地特有の新緑が水みずしくその新鮮さがなくならないうちに。紅葉が始まるので.
雪さえなければ誰でも楽しめる。
軽井沢は標高900メートルで. あれだけ涼しく快適であるから上高地は当然。
決して日帰りせず泊まって欲しい。出来れば2泊お願いしたい。
泊まる所は7300円の山小屋から帝国ホテル35000円までたくさんの選択肢が揃って
いるのでフトコロの許せる範囲でミエを捨てて現世の天国を楽しんで欲しい。
同じ所に泊まって一体どうするのかって。 心配はいらない。 足りない位である。
スイスのアイガー北壁の隣.ユングフラウ.ヨッホまで行き.麓のリゾート地に
泊まったことがある。開放的で様々な花が咲き.ホテルの窓にも花で飾ってテレビで
見たとうりロマンチックであった。 周囲は牧草を綺麗に刈り込んでアルプスの少女
ハイジの画面を見ている様であった。
何もかも綺麗でうっとりしていた。 しかし何かが違う。 何か.自分のいる所ではない
気がする。 そう.落ち着かないのである。 帰国してからも考えていた。ある時
フッと気が付いた。 大陸と島の違いである。土壌もちがう.水も硬質.石灰質で
飲めない。標高は4158メートルでヨーロッパの2番か3番目の高さでずば抜けて高い
訳ではないが。スケールが大きすぎるのである。滝があったが1000メートル位あり水
は霧の様になって滝壺の様なものが無い.
そんな訳で眺めているのには素晴らしいの一言に尽きるのだが.肝心の肌で感じ
られないのである。即ち樹林帯があり猿が鹿が川にはアヒルやカモが遊びイワナが
泳ぐ.そんな森林性猿から進化して来た人間のDNAが落ち着く環境は上高地が
はるかに上回る。 昔の日本人はこの素晴らしい土地を牛馬の牧場に使っていた。
何とも贅沢なことではないか。 当時少しだけ文明の進んでいたイギリス人の
ウォルター.ウエストンがやって来て(明治21年ー27年)前穂高に登った。ガイドは
有名になった上條嘉門次であった。ウエストンはその後計3度来日しているが
イギリスで日本アルプスとして本を出版した。
明治までは武士道精神で武士階級が日本人の道徳的規範を示してきた。
文化的には当時の世界で最も平和で芸術に富み教育が行渡っていた。
しかし.奥ゆかしさを是とし遠慮深い為に.文明的には欧米にやや遅れていた。
初めて上高地に入った頃は.高度成長期の入り口で経済優先。
人生を楽しむなどと云う発想は柔道のやわらちゃんが後年言っていた位であった。
余暇を楽しむ為に当時の通産省がわざわざ余暇開発機構なるものを作った位で
上高地がリゾートに向いているなどとは誰も思っていなかった。
文明開化の時代の為.軽井沢.雲仙.清里等皆外国人が見つけた様になっている。
アウトドアや登山等の遊びを知らなかった日本人に趣味の多様性を教えてくれたと
いうことだろう。
今では上高地の入り口になっている釜トンネルを過ぎるとすぐ大正池が現れる。
大正4年焼岳の噴火により梓川がせき止められ出来た湖で立木がそのまま湖に
立っているのが珍しく.幻想的でもある。 ここでバスを降りよう。そのすぐ近くに
田代池がひっそりと美しくたたずんでいる。小さなそして浅い池だがとても美しい。
真夏でも新緑のような森を少し行くと憧れのシャレー建築の帝国ホテルが見えて来る。
格調高く上高地にピッタリの建物である。 誰でも入りやすいので薪ストーブのある
ロビーでコーヒーなどを奮発すると(800円位)ちょっとセレブの気分になる。
しばらく行くとバスターミナル。車はここまで。 有名な河童橋はすぐ近い。
穂高連峰が完璧なまでに見えるこの橋は何時も大勢の人で賑わっている。
量子は河童橋から眺めた穂高連峰に接してから山が好きになったと言う。
この周囲だけで半日は充分費やしてしまう。何時行っても美しい新緑と他では滅多に
見られない大きく水量の多い梓川をはさんで歩くだけで楽しい。 橋を渡れば
ウエストン碑. 日帰り温泉など何時の間にか散策をしてしまう雰囲気がある。
しかし.ここは入り口であって上高地の本当の素晴らしさの八割はこれから先にある。
ツアーでの旅は気軽で低料金が魅力.時々利用しているが.上高地に限って言えば
ここだけでは何とも残念である。 これより約十キロもの自然公園が待っているのだ。
とはいえ.時間のこと.仕事のこと.フトコロ具合色々ある.でしょう.でしょう.しかし
ここだけは是非是非二三日滞在をお願いしたい.頼まれている訳では無い。
自然の素晴らしさをとことん味わってもらい.再認識して欲しいからである。
さあ.いよいよ河童橋を渡って明神池まで行ってみよう。
梓川を右手に見ながら.美しい樹林帯の中を歩く.背の低いクマザサや野草の間を
進む.道は充分離合できる広さがあり路としてはしっかりしている。
小さな沢や湿地帯が随所に現れるが木道が整備されている。
始めに現れる広い木道では梓川の支流につながり決して人前では姿を見せない
イワナが悠々と泳いでいる.荷物も置けるので写真でも録ろう。
梓川岸の砂利で遊ぶ場所もある。カモが現れるが人を見ても驚く様子がない。
神様しか作れない様な美しい川と.林で一時間の散策は全く疲れを感じない。
前述した嘉門次小屋ともう一軒の山小屋に着く。鬱蒼とした樹林帯の中だがなぜか
明るく神秘的に感じる。そばにたたずむ明神池と穂高神社奥宮の神々しさか。
明神池も神様しか作れない様な神々しさと美しさがある。
イワナが養殖しているのかと思うほどたくさん泳いでいる。怖がらない
大正時代に秩父宮殿下が始めてイワナを釣ったと言って喜んだそうな。これでは誰
にでも釣れそうだ。 今では国立公園の為捕獲禁止.イワナも安心して悠々。
嘉門次小屋で焼いている塩焼きはここのイワナでは と下司の勘ぐり。育ちは争えぬ。
ゆっくりとのんびりしたい所。 量子が特別別嬪さんにみえる。嘘だと思うなら奥方でも
彼女でも見慣れし過ぎたと思っている人は一度一緒にいってみれば判るハズ。
但し保証書までは発行しないので自分で判断すべし。
明神池から徳沢まで一時間 このルートも自然派には天国.徳澤園は山小屋である
が 少々品格がある。昭和31年井上靖が(氷壁)という小説を滞在して書いたと云う
宿である。ここの主人は上條さんなので嘉門次の親戚かも。
量子はこのデザインが好きでここに泊まりたがる。 以前穂高町から表銀座コースで
槍ヶ岳から上高地に降りた時.四日間風呂に入っていなかったこともあり徳澤園の
快適さにホッとしてとうとう三連泊してしまった。
この時(氷壁)の舞台になったと云われる前穂高東壁の100メートル超の絶壁を見に
行ったり.近くを散歩したりして楽しく過ごし退屈をしなかった。
四国の四万十川を河口の中村市を基点として源流まで探索したことがある。
最上流の部落に看板があった。
(都会は人間が作ったもの.田舎は神様が作ったもの。)
その見識に感動したことを思い出す。
上高地はまさに.神様でなくては創れない神秘漂う所だと思う。
夏であれば学生たちがテント村をつくって微笑ましくも賑やかしい。
徳沢から更に一時間進むと横尾に着く。横尾山荘がある。ここまでが上高地と云われ
ほぼ平坦な景勝地である。 ウエストン達が景勝地として世界及び日本に紹介する
明治29年までは嘉門次達が牛馬を放牧するだけの平たい土地にすぎなかった。
横尾から先はいずれ書くことになるが.穂高ルートと槍ヶ岳ルートに別れる。どちらも
素晴らしいルートだがいずれも山岳地帯となる。特に穂高ルートに涸沢あり 秋には
日本一と言われる山岳紅葉が見られる。
槍.穂高共に人気コースのため山小屋が点々とあり四.五時間歩ける人なら登れる。
大分昔のことだが平湯トンネルがないころ日本三大難所と云われた安房峠をバス
で通った時.買ったばかりの高級帽子をバスに忘れた。未だに量子に叱られている。
上高地の周辺には良い処が多い. 平湯温泉.白骨温泉.乗鞍高原.奥飛騨温泉卿
車であれば二三十分で着いてしまう. 少し頑張ると高山まで行ける。
何度行ったか忘れるくらい訪ねているが.今でも毎年二三回は行きたいと思っている。
2013.06.10 IN熊本