槍ヶ岳

槍ヶ岳
穂高の次は槍と相場が決まっている。
富士山の次に有名で日本第5位の高さを誇る槍ヶ岳はその鋭利に尖った形で余り登山に趣味
の無い人でも写真を観ただけで一目でわかる姿をしている。

百名山の内17座を占める北アルプスは日本の屋根と云われており3.000Mを超える名山が
連なり.山が好きな人にとってはたまらない魅力のある場所である。 その中でもとりわけ人気
のあるのが前回の穂高と今回の槍で山好きは槍.穂高と言って何回でも行きたがり憧れている。

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今回は表銀座コースで温泉と自然を楽しんだ。 松本駅から大糸線で日本列島が分断されてい
る事で有名な糸魚川へ向かって汽車に乗る。 九つ目駅の穂高駅で降車。 8月の盆までなら
バスがあるが8月23日なのでタクシーで中房温泉に向かう。 同行者を捜すが残念な事に誰も

居なかった。 6000円は痛いが他の選択肢は無い。 中房温泉は信州を代表する温泉で
勿論.全て掛け流し。庭内の至る所からでる温泉の成分は様々で湯船の数なんと14~15を
数えた。 無理して山を目指さなくてもこの山間の温泉でユックリするのも一興と思われ.人気

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の理由が分かった。 次回の為に一風呂入ってから散策をする。標高1450Mで上高地とほぼ
同じ. 涼しいはずである。 下駄を履いて点々とある露天風呂などを見て廻る。
中房温泉から表銀座コースは始まる。 2.762Mの燕岳まで1.300Mの標高差を一気に登り

合戦尾根を越える事になる。 中間地点に合戦小屋がありスイカとビールを売っていた。
スイカは8分の一で700円だが2.000Mの山の中腹でスイカを食べられるだけで有難いと
量子が喜ぶ。 このコースは急登ではあるがベンチや小屋が立派に整備されており慌てなけれ

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ば困難ではない。 合戦小屋の上のベンチで休んでいたら.下って来た人が大声で話していた。
昨晩.熊が出たと言う。 テントで寝ていたら近くで何かゴソゴソ音がする。キツネか何かだろうと
目を凝らして見たらキツネどころの大きさと違う動物であった。 熊だーー。

近くにあるゴミ箱をあせりに来たらしい。  4~5人のパーティであったが.その話が面白かった。
何はさて置いても逃げるしかない場面で (こいつがテントを持って逃げようとしてグズグズして~)
危ない目に遭ったと言う。 火事の時に枕を持って逃げ出したと言う話は良く聞く事である。

冷静さを欠いた場面では後で考えると笑い話のようなことがあるようだ。
面白可笑しく高度を稼ぐと1.300Mの登りは何ともなかった。 稜線に出ると急に視界が開け
燕山荘がそう遠くない所に見える。此処からは北アルプスの大半が展望できる。素晴らしい景色

でこんなに高い稜線は2年ぶりだ。 天気の良いのは日頃の行いの良さの証明か。気持ちが
のびのびする自分に気づいて.ヤッパリこういうところが好きなのかなあと今更納得する。
360度の展望は下界からは中々姿を見せてくれない3.000Mの名山達を一目で望むことが

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できる。 北アルプスの主な山々を見ながら量子が深呼吸をする。
遠くに今回の山行の目的地 槍の穂先が見える。 下界であんなに遠くまで歩くと聞けば
気が遠くなるような遥かな距離なのに 楽しみで心が弾む。人間の心の不思議さである。

雷鳥の鳴き声がする.なるほど雷が鳴り始めたかと思うような声だ。 動物の糞が時々見つかる。
先ほどの話が頭をよぎり量子が熊の糞だと言う。 夜ならばこんな所は歩きたくない。
昼過ぎには燕山荘に到着.荷物を置いて燕岳山頂を目指す.15分の距離だ。

広々とした燕岳周辺でノンビリした後小屋に戻り生ビール(800円)で乾杯。
遠い遠いあの槍ヶ岳まで今日を含めて行くだけで2泊3日で目指すことに思いを馳せなが
燕山荘の夕暮れ近い午後を味わっていたら.小屋の主人がホルンの演奏をしてくれると言う。

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スイスから取り寄せたというホルンは広々とした燕山荘の周囲をスイスのアルプスを彷彿と
させる音色で宿泊者達を楽しませていた。

早朝5時に起床。摂氏五度。震えるほど寒い。穂高.松本方面に御来光が期待できる。
天気は素晴らしいのだが地平線の彼方まで雲海で埋まっていた。
5時15分 みごとな御来光に出会う。 幸先良い朝の幸運な出来事であった。

今日からは2.500Mクラスの稜線を雲上の散歩とシャレよう。
大天井岳(2.922M)までは比較的楽に行ける。常念山脈の最高峰で360度の展望が楽しい。
余りにも景色が良いのでノンビリしていたら.遠くで聞き覚えのあるイントネーションがきこえる。

耳を澄ませて聞いていたらなんと熊本弁ではないか。 玉名に在住の知人が5~6名のパーティ
で来ていた。 こんな所で出会う偶然にお互いに驚く。 上高地から常念岳に登り燕岳を廻って
中房温泉に降りると言う。 このルートも手軽でよいコースと思う。

雲の上のハイキングは西岳(2.758M)まで続く。西岳ヒュッテが今日の宿。槍の肩まで行こうと
思えば行けたのだが無理をせずにユックリ行く事にした。
この小屋は小さく余り人気のある所ではない。表銀座コースでは無理をしない人の為の中継点

として使うとよい。 このように銀座と呼ばれるだけあって点々と小屋があるので時間さえ掛けれ
ば大抵の人が味わう事が出来るコースとなっている。 西岳ヒュッテでは宿泊者も少なく静かに
眠る事ができた。 翌朝6時出発。 今日の槍までのコースは少しばかり難所を控えている。

東鎌尾根・水俣乗越・を通ってヒュッテ大槍を過ぎて槍の肩まで行く事になる。
北アルプスの最も奥深い所を通ることになる。 当然大昔から道が付いていた訳ではない。
上高地や中房温泉から槍ヶ岳に行くにはどこが一番安全で近いのか.色々な人がルートを

探ったと言う記録が残っている。 そんな郷土史家のような研究をしたわけではないが.渓流釣り
のお陰で北アルプスのルートに詳しくなった。この10年位渓流釣りにはまっていた。ハマッタ
という表現は大袈裟な意味ではなく釣りを経験した人はほとんどうなずく位.共通している。

釣りを始めた途端に禁漁期間に入ってしまい.そんな期間があることも知らずに居た為.完全に
禁断症状が出てしまった。 違反をして10月に入ってから釣ってみたが(さび)といって黒く痩せて
おり味も不味かった。 こんなことなら禁漁期間は魚を温存したほうが後々の為にもよいと納得。

納得はしたものの禁断症状は無くならない。 イライラしながらどうしたものかと思案した挙句.
行き着いたところが図書館であった。ネイテブ志向の為釣堀ではプライドが許さなかったのである。
熊本県立.市立.福岡県立.市立.佐賀県立.市立.その他中小図書館を片っ端から廻り渓流釣り

関係の本を借りてきて読み漁った。 何故そんな遠くへ行ったのかって? マイナーな渓流釣りの
本が沢山揃っている所などそうザラには無い。 多くて精々10冊あれば良い方であろう。
佐賀市立図書館が最も多く揃っていた。 こんな経験のお陰で北アルプスの新ルートを開発した

小林喜作のことを知り得たのであった。 10月~2月末までの6ヶ月間で何と80~90冊の渓流
釣りの本を読んでしまった。これは決して自慢ではない。何故なら山本素石の釣り紀行を読めば
引き込まれる事疑いなしである。 素石の著作は15~16冊あったと記憶している。

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昔から釣り協会なるものが全国に沢山存在しており全日本的なものでは岸信介が名誉会長
を長くつとめ今西錦司京大名誉教授がその後を次いでいた。著名な作家達の本も沢山出版さ
れており.お薦めは開高健の数冊の釣り紀行である。

渓流釣り.とりわけネイティブヤマメ釣りは我流では3年間.一匹も釣れないといわれている。
自分が比較的早く釣れたのはきっと放流物であったのだろう。 大分の大野川最上流であった。
釣りの先輩から簡単には釣れないと聞かされていたので自分は天才だと有頂天になった。

この事がきっかけでその後10年間全国の山登りと釣りが始まる事になる。

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渓流釣りは最上流の沢を登りながら釣り上がっていく。滝や砂防ダムに行く手を阻まれた時には
少し戻って巻き道を探すのだが.道などあるはずがない。 それこそブッシュマンではないがヤブを
掻き分けて滝の上流をめざすのだ。 タヌキ.イタチ.シカ.ネズミ.ヘビなどと出会う事.珍しい事では無い。

そんな苦労を苦労と思っているようでは渓流釣りはできない。むしろ時折現れるゆるい流れの
川幅の広い所で.まぶしいような新緑の中.飲んでしまいたいような澄んだ清流のほとりに腰を落とし
おにぎりを食べたり釣ったやまめのワタを出したりして過ごすひと時は何時にも変えがたい法悦で

ある。 渓流釣りは動く座禅とも言われている。 実感する言葉だ。 流れに餌を流し一心に目印に
集中する。 目印が動く.一瞬の反応が勝負。 そう勝ったり負けたり.魚との命を掛けた格闘技で
あり現代では唯一.身体ひとつの狩猟であろう。 これら一連の動きのあいだ.餌をつけたりポイント

を捜して移動したりするのだが全く何も考えず (無) の境地になれる。
こんな事があった。 大分の九重の最上流(筑後川)で午前10時に川に入った。数匹のヤマメを
ゲットしてほんの少し楽しんだと思い川をあがった。 午後4時であった。 量子は読みたい本がある

と言う事で安心していたが.あっという間に6時間が経っていたのである。これは余りにも酷すぎる。
量子はキャンピングカーの中で泣いていた。反省した。 ことほど左様に (無) になれる。
前述の山本素石の著作ではカッパが出てきたり得体の知れないオバケ的なものがでてきたり

して誠に面白く.何でこの人の本がメジャーにならないのかと不思議なくらいである。私生活の件も
実に面白.可笑しく描かれており.例えば素石の所属する釣りクラブでの第一の条件として離婚経験
が挙がっている。それ位釣りが好きで嫁さんに愛想をつかされた人というのが条件だった。
ツチノコと言う変なヘビみたいな怪物を世に広めたのも素石であった。

ここで女性には嫌われるが正論を一つ紹介しよう。
結婚は 判断力の欠如
離婚は 忍耐力の欠如
再婚は 記憶力の欠如

釣りの事になると槍ヶ岳には行き着かない。しかしこれらの本の中で小林喜作を知る事になる。
彼は今では姿を消してしまった職猟師で北アルプス周辺をテリトリーとして活躍した人物だった。
山本素石によると非常に変わった人間だったらしい。下界での一般的な人間関係が不得手で

山の案内やイワナ.ヤマメを周辺の旅館や山小屋などに卸して生活をしていたと言う。明治8年生
であるから重い粗末な布をテント代わりにして一週間~10日間魚を腐らないように燻製をかけ
ながら釣って歩く。荷物が一杯になるまで野宿の連続である。 オバケ話はこういう時に生まれる。

こんな生活であるから当然北アルプスには誰よりも詳しくなっていた。当時中房温泉からの縦走路
は4日も5日もかかっていたのだが.喜作は後に喜作新道とよばれるルートを開発して2日でいける
ようにしてしまった。 前述した水俣乗越の先に山本喜作のレリーフが設置され功績を称えている。

近くに殺生小屋があり喜作が建てたものと聞いた。 ヤマメをたくさん殺生したとの思いがあったの
だろう。 上高地でも上條嘉門次という山の案内人が有名になった。 そんな物語を思い出しながら
喜作新道に挑む。 西岳ヒュッテでバイトをしているネパール人が付いて来たのだが重装備の我々

と違ってGパンにスニーカー姿であった。 両手をポケットに突っ込んだまま急斜面の岩場を猿の様
にトン.トン.トンと平地を走るように飛んでいった。 陸上競技でアフリカの選手にどうしても勝てない
日本人選手を思い出した。  結構歩きにくい岩場を猿を羨ましく思いながらとうとう槍ヶ岳山荘に

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到着。  荷物を降ろしてホッと一息するが. すぐ目の前に槍の穂先が迫っている。 100Mの上。
ウズウズして来た。 疲れているのも忘れて山頂を占領しようと登り始めた。 ほとんど垂直といって
いいような槍の穂先に取り付く。 量子は下を見ないように必死に両手で岩にしがみついて登って

 

来る。 怖い怖いと言いながらもこういう時は結構気丈に動く。それでもピーク真下のハシゴは
完全な絶壁で20Mを一気に上る。 量子は完全に気絶状態のまま顔だけ笑って頂上制覇。
よく頑張ったと思う。  3.180M 日本第5位の頂上は狭く.すぐには手を離して立てない。

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15人もいれば一杯になりそうな広さである。段々慣れてきて立って歩く。三角点と祠の前で記念
撮影をしていたら何とゴムぞうりを履いた若者がいるので驚く。 その隣にはコンビニの弁当を
食べている若者がいる.余りにも軽装なので話しかけた。彼は今朝.上高地を発って今着いた所

だと言う。驚くべき体力であり速さでこれも小林喜作のお陰か。多少ガスがかかっていたが360
度の展望が素晴らしい。すぐ100M下に槍ヶ岳山荘の赤い屋根が象徴的に映る。 650人収容の
最大級の山小屋で食事も中々のものであった。 混雑時には3000人泊まった実績があると

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聞いたが本当だろうか? 山小屋は命にかかわるので断れないことからあり得ない事ではない。
談話室にはたくさんの本が置いてあり退屈しない。  少しだけ疲れた。 熟睡  熟睡
翌朝は6時起床。 気温3度~さすが~今日は8月27日  再度山頂を目ざす。

360度の展望であった。 この景色はやはりここまで来なければ味わえない。所どころに雲海が
あるが素晴らしい眺めでウットリする。 直後多少の雲海がとんでもない幸運をもたらしてくれた。
ブロッケン現象が現れたのである。 この現象は太陽を背にして少し下に霧や雲があった場合

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にのみ.円い虹が現れる。 そして円の中に虹を見ている本人の影だけが映るという極めて珍しい
条件に遭遇したのであった。 その幸運にしばらくの間酔っているかのように楽しんでいた。
3.180Mでの嬉々とした数十分はその前後の苦闘を忘れ.余りある充実感と (無)の境地を体験

させてくれる。 下界でも同じであるが苦労してきたから今の楽な環境を喜べる。 悲しい体験を
嫌というほど味わってきたから何も無い今の状態が嬉しいのだ。
誰でも分かっている説教はウンザリだが 時折この原点に戻らなければ忘れているのが普通の人。

さあ小屋に戻って500円のコーヒーを味わおう。
今日は大喰岳(3.101M).中岳(3.084M).南岳(3.032M)まで行き.出来れば大キレットを超え
て穂高連峰の北穂高岳(3.106M)まで行きたい。稜線にこれらの山々がクッキリと見えており

3.000Mの天上散歩に誘ってくれている。 天気上々。 又とない幸運の気候に感謝。
南岳まではアップダウンも少なく楽々で到着。 小屋には50代の女性主人が一人で頑張って
いた。 少し休んだ後.小屋のすぐそばから大キレットが始まっており.量子と覗きに行った。

これが失敗であった。 飛騨泣きと云われる強風がいつも吹いており両側が数百メートルも落ち
込んでおり北アルプス最大の難所と言われているところである。 臆病な量子に事前に話したら
絶対に行かないと言うに決まっているのでこの時まで内緒にしていた。 案の定であった。

大キレットを覗いた量子は絶対に行かないと言い出した。 午前中であったので久しぶりに量子を
口説きにかかった。 ここに一泊しても.明日でも良いからと3~4時間かけて必死になって説得し
た。 数十年前を思い出してその時よりも熱心に口説いた。 しかし紅顔の美青年熊本の加山雄三

も.依る年月には勝てず.まして片方で年金を申請する精神では口説き落とせるはずもなかった。
残念無念とうとう断念せざるをえなかった。 ま、いいか、奥穂高岳と涸沢岳には登っている。
槍沢も通りたいし.天狗原の池で逆さ槍も見たい、大キレットは次回挑戦しようと言い聞かせて

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上高地に下りる事に決めて南岳小屋に泊まった。 80人定員の小さい小屋で宿泊者も数える程
。アルプス銀座にしては静かな夜であった。 槍沢は鬱蒼とした森のなかであった。
これでなくてはイワナの餌が川を流れない。 さっそく隠し持っていた折り畳み式竿とテンカラで

(疑似餌)腕を試す。 2投目で凄い引きがある。 やはり自分は小林喜作なみの渓流釣りの

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天才なのだ。 29センチメートルの泣き尺であった。 30センチをこえることは日本の川では
勲章なみのことなので1センチ不足は悔し泣きということになる。 しかも疑似餌となれば餌釣りの
10匹に相当すると言われており益々天狗になった。

山本素石に言わせれば.どんな分野にでも天才がおりテンカラなら10分で30匹上げるような人が
いたそうな。 尤も昔は川に入ると魚がウヨウヨする位いたと言う話もあり.羨ましいかぎりである。
この後次々に良型を5匹挙げ自分の腕を確認する。しかしここは国立公園で.木の葉一枚動かし

てもいけない所、泣く泣くリリース。 誰も釣らない所で魚がウヨウヨいたら誰でも釣れるわな~。
この天国のような所が槍沢である。 森の中に槍沢ヒュッテが待っていたがここは素通りする。
やがて数年前に泊まった横尾山荘の前に出る。ここも素通りすると大きな美しい川に出る。

懐かしの梓川が相変わらず澄んで滔々と流れている 川幅は広く物干しも揃っている。流木だ。
中房温泉を出て5日。 風呂は徳澤園にあるが問題は洗濯物。着替えは全て準備しているが
たっぷり汗を含んだ洗濯物の匂いが気になるのだ。  休憩がてら洗濯に励んだらスッキリした。

今日の泊まりは量子がお気に入りの (氷壁の宿)で名高い徳澤園ときめていた。
徳澤園では奮発して個室を希望する、久しぶりの奥上高地の清浄な空気を思い切り味わう。
近くにはキャンプ場があり学生達が上高地という幸運な場所での生活を楽しんでいた。

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部屋も食事も程よく気に入ったので連泊する事に決定。
ここで少々前に戻らせてもらいたい。 天狗原のことである。槍ヶ岳の下にカール状の場所が
あり、そこに万年雪と池が存在している。 少し遠回りなので人は余りやって来ないが良い所だ。

風もなく待望の逆さ槍が見事に写っていた。ブロッケン現象と共に今回は幸運が続いた。
連泊すると言うことは休憩も兼ねて訪ねたい所があったのである。 (氷壁) の舞台になった
明神岳の屏風岩を見に行きたかったのだ。

作家 井上靖が徳澤園に長く逗留して山岳小説を書いたと云うその雰囲気だけでも味わいた
かった。 今では井上靖は話題に昇らないがこの人の (蒼き狼)は実に面白かった
ジンギス、カーンを見てきたかのように真実味があった。そして敦煌も。

こうして徳澤での楽しい日々の3泊はあっという間に過ぎた。

越し方は 一夜ばかりの 心地して 八十路(やそじ)余りの 夢を見しかな   貝原益軒

街を歩いても可笑しくないような服に着替えて、上高地のハイライト地域、明神池に向かう。
明神池は何度来ても美しい、池だけでなく周辺も鬱蒼とした森に囲まれ、梓川本流から少し
外れている、穂高連峰からの伏流水や湧水を満々と湛え神秘的な風景が心に残る。

明神池は日本アルプス総鎮守で嶺宮は奥穂高岳頂上に祀られその奥宮が、入り口に鎮まって
いる。 屈折した支流が至る所に流れ鴨やイワナその他の生き物を養っている。今では国立公園
となり 抑制を知らない現代人から動植物を守っているために彼らの天国となっている。

彼らの天国とは云ったがその楽園に入った我々こそ安堵感や美しさを感じるのであるから
共生という思想は大切にし、その恩恵を感じるまでに成長していない若者、子供達に何とか
継承したいと思う事は虚しい願いだろうか? 現在レベルでの地球環境はあと数十年が限界、

と言うのが専門家達の常識と言う。 今日の、目の前のグルメや快楽を我慢できない人々と
政治家や産業人、いや我々全ての人々の飽くなき欲望の犠牲となって自然が壊れていく。
残念だが解決策はなさそうである。

せめて上高地帝国ホテルでチョット贅沢にランチ(2500円)でも食べて槍ヶ岳とサヨナラしよう。
帰りのバスの中に買ったばかりの帽子(4500円)を忘れた事、今でも量子に叱られる。
2013/09/20  IN 熊本