奥穂高岳

2000.08.
奥穂高岳
世界の屋根をチョモランマが聳えるヒマラヤと言うならなら.日本の屋根は穂高連峰が連なる
北アルプスと言えるだろう。 その重鎮としてドッシリ構えているのが奥穂高岳である。
3190メートルは南アルプスの北岳に次いで日本第3位の高さであるがその差は僅か3メートル
で日本の屋根に相応しい堂々たる姿をしている。
3000メートルを超える山のピークが下から見える事は余りない。富士山を初めとする乗鞍.御岳
.などの単独峰位で 大体は前座の山々に囲まれており.覚悟して迫る者にのみその姿を現す。

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登山口の上高地は標高1500メートルとはいえ有名な河童橋バス停のすぐ近くから穂高連峰
の全容をうかがうことが出来る数少ない場所で余りにも人気が高く入場制限している位だ。
前述したが上高地は登山でなくても軽井沢と並んで日本有数のリゾート地である。

穂高への登山は力量次第で 朝のうちであれば槍ヶ岳でも奥穂高岳でも極める事が可能で
ある(上級者)。 上高地は自然が素晴らしく登山の為に急いで通り過ぎるのは余りにも
もったいないと思う。 ユックリと日本一の自然を堪能しながら登山を楽しみたい人は徳澤か

その先へ一時間歩いて横尾に泊まる事をお薦めしたい。此処まではお風呂に入れる。
以前横尾に泊まった時は丁度紅葉シーズン(10月1日)で登山客が多く 一畳に三人寝る事に
なった。これはどういうことを意味するかと言えば横向きでなければならず.夜中にトイレに起き

たりすれば戻ったときは隣の人は仰向けでグーグーで人の入る余地など全く無くなる。
締め出された人は廊下に寝ていた。 こういう時は量子が頑張って余地を空けておいてくれる。
その為熟睡できる人は余程の達人であろう。 これに懲りた人は重い荷物ではあるがテントを

背負っていくことになる。 朝早く握ってもらっていたおにぎりを持って1500メートルの標高差
に挑む。 6時間位のハズだからおにぎりタイムを二回タップリとっても1時~2時には穂高山荘
に着くハズと出発。 何故こんなに大勢の人がこの時期に集中するのかが3時間後に分かる

ことになる。 横尾まで平坦な上高地であったのが槍ヶ岳方面と別れ突然山岳地帯に入って
いる. 始めはゆるい登りが段々急になってくる。 上高地の樹林帯は濃い薄いはあっても
緑一色(マージャンではリュウイーソー)であった。 ところが2000メートルを超えたあたりから

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天然色に変わってきた. 予想していなかった。下からは見えていなかった。 赤.黄色が段々
多くなってくる。 自分としたことが忘れていた。 この先は日本三大山岳紅葉として名高い
涸沢であった。 山好きがよく言う (涸沢暮らしはやめられない) と

九州に居て10月 2日に紅葉などということは全く念頭に無い事であった。
そういえば白樺荘の主人が(上高地の紅葉は二時間の勝負です)と言っていたのを思い出す。
大袈裟な自慢に少し反発して.このことをすっかり忘れていた。

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もともと山が好きで紅葉狩りにでかけて楽しんで居た方である。九州では全て味わっている.
ところが涸沢は全く違う。 色が違う.スケールが違う.新鮮さが違う.初めて見た紅葉であった。
すこしづづ序序に変わっていく紅葉ではなく.ある日突然気温が下がり一日で周りが全部

色が変わったという印象である。 キツイはずの登りが周囲の感動すべき紅葉の為に全然
苦にならない.というより忘れている。 シャッターを沢山押しながらこれでもかという紅葉を
堪能しながら登山というより遊んでいた。 2400メートルの涸沢はビックリする様な多くの

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テントが紅葉とは違ったカラフルさで競っていた。 涸沢小屋は勿論満員だがもとよりここは
通過して穂高山荘を目指す。 ピークはもう見えているがここからの傾斜が急になる。今までは
紅葉に騙されて楽に来たが.森林限界を超えたこれからは涸沢カールの広さだけが取り柄の
単調な登りに変わる。 どの山でもそうだが見えているピークは遠いものだ。
ガレ場が続き結構キツイ思いで励まし合いながら登っていく。 小屋が見える.もう少しという
この辺がいつも.どこでも感じるキツサだ. 見えているというのは精神的に安堵感を与え逆に
残っている力を落としてしまう。

これも人生と似通っている。安心を得た変わりに同じ人.同じ場所で渦を巻いて暮らす。
そしてその人が歩いた道以外興味も知識も無い厚みの無い人柄を創る。
文化.教養は生きる糧を得る以外の莫大な人生の喜びであり楽しみなのだ。

ただ食って寝て垂れるだけの人生は(何かあるのが人生)のなかで一時期止むを得ないとしても.
明日を保障されていない命を刻んでいる人間として.余りにも危うくもったいなく思う。
過去は戻らず.明日は誰も知らず ならば今を精一杯味わうのが正解か。

3000メートルチョット山荘からの眺めはさすがに素晴らしい。 涸沢のテント村が小さく見える
午後二時であった。 荷物を置いてひとやすみ.いい気持。.奥穂高岳のピークが見える.早く
ここまでおいでと呼んでいる気がする。 150メートルの登り.行って来るか.

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9.9合目と頂上の眺めの違いは千倍以上の違いがある。反対側が見えるからだ。
連峰の全てを確認する。 祠が3メートル以上の高さがありこれでは北岳の高さに匹敵すると
思われる。 しかし確か北岳にも祠があったので同じことかと納得。

西穂高方面にジャン.ダルムと険しそうなルートが見える。登ってきた山荘方面には涸沢.北穂高
そして量子が決して行こうとしなかった大キレットと南岳.槍ヶ岳と続く.素晴らしい展望だ。

人は何故? 山に登るのか。
余りにも昔から多くの人々の発した疑問である。 自分にも沢山投げかけられた言葉だ。
若いころは色々言葉を捻くりだして答えていたが今は何も言わない。

書物を何千回読んだら馬に乗れるだろうか。 理屈を何万回聞いたら泳げるようになるだろうか。
百聞は一見にしかず と誰もが知っている.これに加えたい言葉がある. (百見は一体にしかず)
百回見るより一回体験するほうが良く分かるということ。

山の魅力を子供の頃里山に強制的に登らされ.キツカッタ.と言う印象を持っているだけの人に
向かっての言葉など全く思いつかない。 心の中で興味があるなら一度行って見たら.と思う。
余り豊かでもない我々が何故上高地や尾瀬に.そして山に何度も繰り返し行きたがるのか。

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結局の所。綾小路きみまろ。演劇鑑賞。歌手のコンサート。写真撮影。魚釣り。絵画。文芸。読書。
スポーツ。その他数え切れぬ程の娯楽の中の一つかもしれないのだ。
一つ云えることは後者は刹那的に数時間で経験出来ることで前者は大きな犠牲を払って数日間

全く異なった土地や環境に身を置くということであろうか。
どちらでも良い.いずれにしても同じことを繰り返すのが嫌いなだけなのだ。退屈が嫌なのだ。

エピソードを一つ忘れていた。横尾山荘に泊まった時.食堂に買ったばかりの旅雑誌を忘れて
戻り30分後捜しに行ったらもう無くなっていた。 大勢でごった返す小屋のこと.仕方ないかと
思ったら管理人がこの小屋で物が失ったことはありませんと言う。 ホンマカイナとの気持ちで

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諦めて寝てしまった。 翌朝管理人が雑誌を届けてくれたではないか。 やはり山は素晴らしい。
穂高からはまたあの美しい梓川に沿って気持ちの良い森の中をカモやイワナと遊びながら時々
猿を見かけたりして.上高地を通って帰るのかと思うだけで下りの辛さが半減する。

70歳になった。 アト何回いけるかな? たのしみです。

2013/08/14  IN 熊本