倉敷、尾道、鞆の浦、しまなみ海道

2015.04.29~05.02 ゴールデンウイーク
瀬戸内の文化を訪ねました。(倉敷、尾道、鞆の浦、来島海峡、今治、道後、)
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キャンピングカーで旅をしている頃訪ねてはいるが 何故か懐かしく気になる
町が何箇所かある。その一箇所が岡山県倉敷であった。

人口48万3千人余り西日本では大阪についで2番目の生産量を誇る工業都市
である。 というと いかにも無粋な町のような印象を受けるが とんでもなく
ロマンチックな町である。

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昔は毛利一族の宇喜多秀家が治めていた。 江戸時代は池田藩であったが
今回のご案内する倉敷美観地区は天領として代官が治めていたという。
ドラマによく登場する悪代官ではなかったらしい。

今回の旅は国の近代工業遺産でもある倉敷美観地区をじっくり味わった。
腰をすえてユックリできたのは 何と言っても泊まった宿のお陰といっていい。
倉敷を全国区の観光地にした恩人は大原孫三郎と言う倉敷紡績(クラボー)

の創業者である。明治の半ばに日本の近代工業の先鋒としてクラボーを
立ち上げ その利益を文化的財産に投入した尊敬すべき偉人といっていい
だろう。

泊まった宿というのがアイビースクエアといって美観地区の真ん中に位置
しており歩いてすべての観光ができる。
この宿はクラボーの紡績工場を改造した赤レンガ造りの建物で 蔦(つた)

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が壁をびっしりおおっている。 蔦の絡まる~チャペルで~、、、ペギー葉山
がうたっていた そんな感じ
なかなか趣のあるホテルであった。

つたの ひろば と言うロマンチックなホテルから出たとたん そこは観光地
そのものであった。倉敷川という運河を中心にいつでも 時代劇の撮影が
可能な景色が広がっている。 川の両端には柳の木がそよいでおり昔の

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公共的な役所や米を検量する施設があり 大原家や別邸、庶民が入るのを
ためらうような料亭旅館が並んでいる。隙間隙間にはいろいろな観光地特有
のみやげ物の店、カフェー、レストランがならんでいる。

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運河には観光船がといっても6人乗りのボートだが 船頭が説明をしながら
竿で移動している。 両岸の道は多くの外国人を含めて老いも若きも楽しそう
に歩いている。 平和日本の典型というところか?

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中心は何と言っても大原美術館であろう。ギリシャ神殿を思わせるような入り口
にはロダンの作品が両側にたっている。
ここまできたら絶対に入らなければ文化人を気取っている人間として許され
なかろう。

15年位前に入ったとき その絵画や美術品の多さに圧倒された思い出が
あり今回もそうなるかと覚悟した。
歳をとったのか 2度目だからか おおいに楽しめた。

のっけからモネ、ゴーギャン、マティスと相変わらず圧倒する。
しかしこちらも歳を重ねている、ドガ、ルノワール、セガンティーニ、ロートレック、
ユトリロ、ミレー、セザンヌ、そしてエル・グレコ、ピカソまで 凄いすごいなー

2度目という余裕でタップリ 大原美術館を堪能した。 と思ったら児島虎次郎
やオリエント美術館もあると言う。 これは翌日に延ばした。
児島虎次郎というのは大原孫三郎の命をうけてその資金力をいかして

ヨーロッパを渡り歩き絵画などを集めた画家であった。彼は絵描きの修行
もしながら収集をして一流の絵画に成長した。 そして多くの画壇の先輩
達から東京で活躍するよう薦められたが倉敷から動こうとはしなかったという。

きっと孫三郎が好きでたまらなかったのであろう。
孫三郎の長男の総一郎は後を継いだがこの人も文化人でドイツのローテンブルグ
で中世都市の素晴らしさに出会い倉敷の美観地区を思いついたといわれている。

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2世代にわたって大原家が倉敷を繁栄させ その後もかかわっている。
川沿い道にそって町並みが2本も通っているがここには食事処とお土産やが
かぞえ切れないほど並んで賑やかで華やいでいた。

夕食はホテルをやめて倉敷駅まで10分歩いて魚料理を食べたが観光地で
本物を捜すのは難しいと 、また悟った。アイビースクエアの広場でビールを
飲んだがとても優雅なひとときを感じた。

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翌日は船頭の説明で運河の景観を楽しむ。 15分だが500円であった。
午前中は倉敷でゆったり。
午後から尾道に向かって出発、高速で30分。  明治創業の老舗西山本館

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昨年泊まった京都の柊やにソックリ、 女将にそう伝えたら、とんでもございません
と謙遜された。 日本建築の見本のような数奇屋造り。こういうの好き。
荷物を置いて 鞆の浦へ。 今回旅の最も興味ある町だ。

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鞆の浦は豊後水道と明石海峡の丁度真ん中にあたり動力の無い時代の潮待港
として栄えた。 村上水軍などが活躍したところでもある。
風光明媚でもあり 狭い港町で近代化しなかったこともあり昔の風情が

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色濃く残っている。この町もすべて歩いて回れる広さでなんとなく落ち着く。
最大の興味が坂本龍馬。
彼はこの港を中心にグラバーなどと貿易をしていたのである。

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グラバーはヨーロッパの進んだ鉄砲をはじめとして武器などを持ち込み
日本の貴重な金や絹製品を流失させるいわば武器商人であった。
龍馬はこれで稼ぎかつ影響力をたくわえ、大きな活躍の源泉をつくった。

彼の船がいろは丸150トン、500両で借りていたらしい。
ある時 紀州藩の860トンの船と衝突した。小さいほうが沈没。 やり手の龍馬
が鞆の浦で事故の賠償について話し合いをした顛末が面白い。

龍馬の言い分、船購入代金4万5千両、積荷が鉄砲5千丁で3万5千両
しめて8万両、  紀州藩に請求した、すったもんだのあげく7万両にて決着。
あとで沈没船を捜索したところ船は借り物、 鉄砲の影は無し ということが

判明したという。 これがのちの暗殺につながったという説がある。
龍馬先輩やるねー ヤオイカン人物の面目躍如のエピソードではないか。
これくらいなければ後の明治維新の功労者にはなりえなかったであろう。

鞆の浦 なかなか風情のある楽しい町だった。狭いので尾道や宮島のついで
に訪ねることをお薦めしたい。

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尾道の西山本館に寄って夕食まで尾道商店街を歩くことにした。
アーケードのあるところまで1分、 金曜日だからかガランとしている、
最近の日本中、地方都市の典型的な姿であった。

尾道は風情のある観光地なのでここまでは落ち込んでいないだろうと
思っていたが *尾道 おまえもか*であった。
そこそこ こだわりやさん が変わった店をだしているものの所詮 線香花火
位が落ちであろう。

尾道駅まで15分歩いた。 立派な駅舎と観光向きホテルとその施設、そして
市民用の会館、トレーニング施設、日本中金太郎飴症候群。

帰りは尾道水道に沿って歩いた。尾道の真向かいに向島があり幅150~200M
位の運河のようになっている。これが3キロMばかりつづいている。川岸は景色
の良い散歩道で有名な作家の絵画が焼き物になってたくさん展示されている。

この屋外美術館はなかなかのものであった。 尾道は映画*東京物語*で
描かれており印象深い。 笠智衆と東山千栄子演ずる年寄り夫婦が東京に
出て行ってしまった3人の子供たちに、歓待するから上京するようにいわれた。

喜んで上京したものの成功したといっても話ほどでもなく2日目以降は邪魔者
扱いで皆それぞれ日常生活で一杯、急逝した末っ子の嫁の原節子が一番
親切にしてくれたが やはり遠慮があり10日以上の旅の計画を3日で切り上げ

帰ろうか、といった矢先東山千栄子が病気になりあっさり亡くなってしまい
笠智衆が(もっとやさしくしてやればよかった)とつぶやく物語。
心にひびく方いませんか?

ところでこの映画 最近世界中105人の映画監督の投票でこれまでの映画の
なかで最もすぐれた作品に選ばれたそうですヨ。
小津安二郎監督 すごいですネ。

西山旅館の懐石料理はさすがに 世界遺産になるだけのことがあった。
よくここまで手間をかけて工夫をしているものと感心する。
味はもちろん うすあじ で食材の特徴がよく出ていて云う事なし。

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翌日は尾道のハイライト 千光寺に登る事に。 といってもロープウエイ
120M位の立田山ほどだが中身が違う。 志賀直哉や中村憲吉などの作家が
住んでおり文学の道として美術館が多い、高台ゆえ尾道水道や しまなみ海道

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の大橋の眺めがすばらしくカフェーもたくさんあってあきることがない。
広島といえば安芸の宮島に決まっているが 昨年ほとんど歩いた。弥山という
世界遺産(500M)にも登った。

ゴールデンウイークに入っているので このあたりで帰りのことを考える。
渋滞が気になるのだ。 広島-防府ー下関ー大宰府ー広川ー熊本
渋滞常習地帯でこのルートを戻ると思っただけで気が滅入る。

四国に渡ろう、 決めた。 目の前が向島フェリーが2-3箇所通っている。
料金は100円とある。 となりの量子は60円 合計しなくても160円
信じられなーい?  5分で着いた。 7-8キロの向島 周遊

しまなみ海道に入ったら170円安かった。 ところで本四架橋は渡ったら一万円
と聞いていた、実際は尾道~今治まで2850円であった。 ETCがないと
4850円なのでどうかご用心のほどを。

しまなみ海道に沿った島々は主な島だけでも6つある。 この島々を拠点と
して栄えていたのが村上水軍であった。
秀吉によって淘汰されたが海賊でもあり大変な繁盛であったそうな。

途中 伯方島で降りてみたがやはり 過疎の様子がみられた。 歴史ある所
がさびれていくのはなんとも寂しい限りである。
このルートで感動したのは 来島海峡大橋であった。

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3~4箇所無人島を足場としてはいるが連続した橋のように見え5~6キロ
の物凄い迫力であった。今治北のSAでその迫力にしばし見とれてしまった。
来島海峡は瀬戸内海で大型船が通過できる唯一の場所であり物語がある。

坪内寿夫 ご存知だろうか。 再建王、清商(政商ではない)、四国の大将
佐世保重工社長、関西汽船オーナー、ダイヤモンドフェリーオーナー、
来島ドック社長でありながら きりがないほどいろいろな尊称がある。

ひとつだけ物語を挙げよう。 柴田錬三郎というベストセラー作家がいた。
この人が(四国の大将)という小説を書いた。坪内のことで山下清ではない。
これに感動して土地の高騰しているバブルの時代に9ホールのゴルフ場を

造って柴田錬三郎にプレゼントしたというのである。 あなた専用ですといって。
昔は物凄い人物がいたようです。  ところで どこに泊まろうか?
道後温泉は昨年をはじめ何度も泊まっているし、高いし、なんといっても

満室だった。 久しぶりに石鎚山の麓 面河渓谷にでも泊まろうか、と考えた。
大洲はつまらない、西条、新居浜、宇和島とイロイロ考えたがいづれも面白く
ない、 今治から松山に行く国道があるのに気付く。千メートルを超える山の

中腹に温泉があると言う、山好きの身としては選択の余地はない。
鈍川(にぶかわ)温泉と言う。幸い予約が出来た、よかった、よかった。
温泉旅館が数件あったが本当に山の中で、半端でない掛け流しの気持ちの

良い温泉であった。食事はまあまあというところか、ゴールデンウイークで
当日予約の出来る宿はこんなものだろう。 昨日、辺りの山を散策したが
さびれているだけに静かだがなかなか良い所と思う。

そろそろ熊本へ帰ろうかと思い出し、ルートを考える。
佐田岬~佐賀関、八幡浜~佐賀関、電話をするがいずれも予約で満員という。
港に並んで空きを待つしかないのか? あきらめかけていたら量子が

八幡浜~臼杵の空きを見つけた。16時発という、丁度よかった、なぜなら
もう一箇所いきたいところがあったのだ。
伊予から八幡浜への国道378号、通称夕やけこやけライン。30キロにわたって

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伊予灘に沿った海岸線を気持ちよく走った思い出が強く残っている。双海
(ふたみ)道の駅で眺めをゆっくり楽しんだ。 その先に伊予灘に面した
レストランがあり、そこでも海の爽快さを楽しんだ。 石川県能登半島の背中

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に当たるところに なぎさドライブウエイという海岸の砂浜を走れるところがあり
サーフで走った楽しい経験を思い出した。
臼杵までは2時間半の航海であった。四国は山が深く大好きなところだが、

フェリーという制約がある、良い所は遠きにありて思うものかも知れない。
次回は昨年行った宮島と剣山、祖谷渓、徳島、鳴門海峡にしよう。
乞う ご期待?

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