霧島縦走はいつ頃楽しめる様になるのか?

霧島縦走はいつ頃楽しめる様になるのか?  2014/01/25

九州の山は本州の3.000m級の山々と較べてその山容はなだらかで柔らかい印象がある。
ほとんどが火山であることがその理由であろう。 その為に危険な刺激を求めるには少々物
足りないかも知れない。 自分もその不安を抱いた一人であった。 しかし九重の坊がつる、と
霧島縦走路を知ってから九州の山々でもある程度満足出来るようになった。

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2011/01/26 新燃岳が突然噴火を始めた。 火炎現象を伴った激しい噴火で2月には3kmの
入山規制が4kmに拡大された。 爆発的噴火もしばしば起こり火口から10kmも離れた小林市で
1~3cmの噴石が80件降ったと云う。最も遠い所では16kmのところで自動車のサンルーフが

割れたと言う。 新聞やテレビでも連日報道されたので知っている人も多いであろう。
噴石も怖いものであるが、誰にでも降りかかる火山灰の被害は甚大なものであった。
何しろ遠くまで降ってくる大量の灰は防ぎようが無く、約1年に渡って風下の住人は酷い目に

遭っていた。 こんな風に書くといかにもずっと被害に同情してきたかのように書いているが
それ程関心を払っていた訳ではない、ただ麓にある民宿、新燃荘の白濁した温泉が以前より
とても気に入っており、霧島に行けば必ず立ち寄って温泉を楽しんでいた。

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今年の春、新聞かなにかのメディアで新燃荘までの立ち入り禁止が解除されたと知り早速量子
と韓国岳へ散歩がてら登り、ついでに好きな温泉に入って来たのだった。
その時の韓国岳からの新燃岳の様子はあいにくのガスがかかっており確認できなかった。

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左上は2007年11月07日 右上は2008年10月30日  下は2013年09月27日の写真

今回の韓国頂上からは新燃岳がハッキリ確認出来た。 お鉢とほぼ同じ高さ位まで溶岩?が
盛り上がり数箇所から煙が上がっていた。 二度とあのコバルトブルーの池は見れないと
観念した。 こんな状況からみて縦走が出来るようになるのは随分先のことであろうと推察

せざるをえない。 こんな訳で韓国から元のえびの高原へ戻った。 大人しく元の登山口に戻った
のには訳がある、 霧島は1700Mの韓国岳や高千穂の嶺をはじめ7~8座の山々から成り立っ
ており、全てが火山で韓国岳のピークからは少なくとも4箇所の火口湖を眺めることが出来る。

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こんな地形であるから霧島連峰の中腹には至る所に様々な泉質の温泉が湧き出しており、その
数は素人では数え切れるものではない。 広大な裾野に無数の温泉がある中でもやはり丸尾
地区は地形が開発しやすかった為か大小数十件の温泉旅館、ホテルが集まっている。

名付けて霧島温泉郷である。 中心のあたりは土産物やレストランなどが並んでおりシーズン
には数千人の温泉客で賑わう。 しかし何と言っても800Mの高地であるから住んでいる人は
少ないはずである、ところが驚いた事に今回訪ねたところなんとコンビニのオープンに出遭った。

皆が旅館に入ってしまう夜や、寒い冬の平日のお客の数を他人事ながら心配してしまった。
こういうのを大きなお世話と言う。 韓国岳をピストン往復したのは林田温泉が目当てであった。
30~40年前、別府温泉に杉の井ホテルが巨大ホテルとして繁盛していた、同じ頃霧島温泉に

 

林田温泉が巨大な規模で繁盛していた。 ともにバブルの申し子みたいなもので巨大ホール
に旅役者や芸能人、歌手を招いて大勢の温泉客を呼び込んでいたものであった。
バブル崩壊と共に時代はファミリーを中心とした接客の流れに変化し、大型ホテルは何処でも

衰退していった。 新築すれば100億は掛かるような規模の施設が置き去りにされたが別府では
立地条件がよいので紆余曲折を伴いながらも今では外から見た限りではあるが繁盛している様
に見える。一方、林田温泉は丸尾温泉街から100M高く距離にして2KM近く離れており簡単に

は回復出来なかった。5~6年の放置期間の後とうとう岩崎ホテルが口説き落とされたとみえる。
引き受けてから14年が経つと言うが全盛期の施設の3分の1という規模での営業であった。

 

岩崎観光と言えば鹿児島県のホテル、観光業の雄と云われるほどの実力者で屋久島、指宿
など広く事業を展開している他、バスタクシーなどの交通の分野にも進出している。
その岩崎の実力を以ってしても林田温泉の立地には苦戦しているようで14年を経過した今でも

大繁盛という訳にはいかない様に見受けられた。 この事は立地と言うことよりもバブルの崩壊
による時代の変化と、とらえるほうが適切ではなかろうか。 ここまで書いて終わりにすると、いか
にもさびれて汚い印象をうけるが オットどっこいさすがは岩崎グループであった。

建物の古さは誤魔化し様はないものの、キチンと隅々まで掃除が行き届いており車寄せに配置
されているホテルマンの応対は一流のそれであった。 ロビーとチェックインの応対にも少しの
不満もなくむしろ全員のモチベーションに感心したくらいである。

きちんと案内されて入った部屋はリゾートホテルだけにツインルームにしては広く、古さを全く
感じさせないほどしっかり掃除が行き届いている。 快適な部屋に満足してカーテンを開けると
櫻島と錦江湾が見える、霧島の代表的な景観だ。 この景色は何度見ても飽きない。

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ここまではどこにでもあるパターンであるがそれから先が感動ものであった。
巨大ホテルだっただけに大浴場もさぞ大きいであろうと思っていたが案の定100人は入れる
大きさで金曜日と言うこともあり、一人でのびのびと泳いで楽しんだ。 泉質は一番温泉らしい

明礬で最も好きなタイプだった。 しかも巨大な湯船の割には掛け流しの量が半端でなく湯量が
豊富な事を物語っていた。 欲をいえば露天風呂の風除けが山岳地帯なだけに高く広々と
囲まれているのだが錆がきており 岩崎といえどもこの広大な施設の維持管理には苦労している

のが察せられた。 それにしても明礬の泉質というのは香りも肌触りも温泉らしさという点において
日本人に最も多く好まれており誰でも違和感なく入れるようだ。 白骨温泉が悪名を馳せたし
秋田県の乳頭温泉も温泉番組が放映される度に必ず登場する。 山形県と福島県の境にある

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姥湯、北海道の羊蹄山麓温泉も明礬であり、泉質に忘れられない思い出がある。
このようにロケーション、泉質共に優れておりバブルの時代には繁盛する要件を備えている。
それにも拘わらず20年経した今でも3分の1のスケールで経営せざるを得ない環境がいかに

厳しいものかを物語っている。岩崎と言えどもやはり時流に乗らなければどうにもならない時代
の変化は外部の門外漢からみて、人生のうえでも何らかの参考になるであろう。
その上同じ敷地内ではあるものの歩いて7~8分の所に驚くべき温泉が存在したのである。

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湧き出ている温泉の量が余りにも多い為に川全体が温泉で50Mに渡って点々と湯船が設えて
あり、しかもそれぞれ泉質が異なっており、湯船も20人は入れるような、しっかりしたもので
NHKドラマで登場した竜馬の湯もあった。温泉通を自認している自分も知らなかったことで

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世の中の広さを改めて思い知った事であった。 周りを何時もの好奇心で調べた事は云うまでも
無い。 奥深い森の中を覗くと40Mはあろうかという高さの石垣があり階段までついている。
登り口に説明文があった、それによると江戸末期の島津藩主の別荘として開発されたとあった。

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人口が3000万人位で自然環境が溢れていたであろうと思われる時代でも、この様な自然を
求めて山奥の温泉に浸かりに来ていたのを知り、人間の心は余り変化しないものと思い至った。
それにしても大変な山奥でしかも急な傾斜地に、よくこんな施設を作ったものとつくづく感心した

ものである。 現代人はどうしても封建制度の残っていた江戸時代以前の人々を何かしら劣って
いるような感覚を持ってしまいがちであるが、機械文明的には遅れていても自然を生かす感性
や工夫をつぶさに見てみると、今の人々よりも遥かに奥深いものがあったと思わざるを得ない。

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岩崎ホテルでは夕食が20時からと聞かされていたので断っていた。どこかで夕食を楽しまねば
ならない、近くの霧島温泉郷に数件の居酒屋、レストランがあると言う。

しかしグルメを自認している身としては、このあたりでは満足しないであろうと考えていた。
大浴場を独り占めしていたら同年代の人が入ってきた、この人、常連客で大阪から一人で来ている
という。ホテルの食事ばかりでは飽きが来るという話になり、いいところはないかと訪ねたところ

おすすめの店を教えてくれた。距離にして20キロ、30分かかると言う、結構、結構どこまでも行くぞー
なにしろ湯布院に泊まっていて食事に飽きると大分を通り過ぎて片道100キロ先の津久見まで
海鮮焼きを食べに行く少々アホな私共です。

黒豚の館と言う店がそれであった。 黒豚養豚牧場の直営店で横綱白鵬やサントリーの元社長
佐治敬三氏らそうそうたる人々がこの店を訪れている。 とんでもない田舎にもかかわらず本物を
求める人は何処にでもやって来るものだ。 休日には二時間待ちになると店の者が言っていた。

黒豚シャブはさすがに美味であった。 ホテルの料金の半額であるが、料理の量はこちらの方が
多く、わざわざやって来る価値があるというものだ。 分厚いトンカツもカツ丼も食べてみたかったが
腹の脂肪が気になって我慢、我慢であった。 霧島に行ったら是非また行きたいと思う。

霧島連山縦走の話が黒豚のことに飛んでしまったがとにかく霧島は素晴らしい、海にも近いし山も
深く野生の鹿にも出会う事が多い。九重連山も良い、とにかく自然は気持ちが良い。
九州での代表、阿蘇についてはレストラン経営のこともあり感覚が近すぎる為観光にはならない。

身内の様でついつい批評というか注文になってしまう。
まずアクセスの問題がある。 天草と阿蘇が2大観光地と云われるがハイシーズンになるといずれも
大変な渋滞で、特にツアーの旅行では短時間の間に決められた沢山の場所を廻る事が売れる条件

である為渋滞が最も嫌われる事となる。 解決策については政治、行政の問題なのでくどくどいうにを
控えておくが、県民性も加担している気がする。
アクセスの問題は巨額の費用次第で解決できると思われるが、もう一つの、一点集中と言う問題

は熊本の県民性を考えると最も困難ではないかと推察できる。
人間の歩いて感じる感性が最も印象に残る記憶とすれば、天草や阿蘇のどこが記憶に残るだろうか?
ドライブしながら天草五橋を走り抜けるのは気分爽快である、 世界遺産に相応しいと思える外輪山

を眺めながら、そしてどこまでも広がる草原の伸びやかさのなかのドライブは世界の何処にもない
素晴らしい経験である。 しかし前述の歩いて受ける思い出は何処で得られるであろうか?
自然と比較すると余りにも小さい人間の動物的感性とテリトリーは、やはり歩いてタッチできる範囲

ではなかろうか?  黒川温泉、湯布院温泉の圧倒的人気は、人のテリトリーにぴったりの広さだった
のである。 さあ考えてみよう。  天草でも阿蘇でも良い、どこかに黒川のように歩いて楽しめる
ようなホッこりするような場所を絞り込むアイデアを???

なんと絶望的な作業であることか,と 平凡な人間は考える、天才はこれを突破するのだ。
具体的な提案でなければ誰も受け入れてはくれない。 ここまでは多くの人が考えた事だろう。
熊本の県民性が邪魔をするのはこれからである。 さあこまったなー。

中国では考えが行き詰った時に便利な言葉がある。 ご存知だろうか、
ここでは結論を出さずにおいて進化した次世代の人たちにまかせよう。 という奴
結局、知恵がなくて逃げたかと云われると思うが その通りです。

あの広大な阿蘇の中で、何処に拠点を作ったら誰もが納得して協力してくれるだろうか?
結論から言うと特別なスーパーヒーローが現れない限り無理であろうと想像するので、ここでは
悔しいが時を待つことにしたい。

そんな訳で残念ながら 当分のあいだ我が阿蘇は霧島の魅力にはかなわないのである。