立山.剱岳.黒部

立山.剱岳.黒部 (2000/07/25)

日本一.富士山の次は最も恐怖を感じた剱岳を回想しよう。
弘法大師が草鞋三千足を費やしても登頂出来なかった.と言う伝説がある。此の言葉か.新田次郎作
(剱岳・点の記)の中で陸軍測量部が何度も挑戦してやっと登頂出来たという記憶からか.
怖がりの量子では難しい山と初めから構えていたところがある。

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今でこそクサリ.ボルト.ロープがあるから登れるものの.役の小角という行者が登ったとされる昔
弘法大師も無理であったようにどこをどうやって登頂したのか不思議な位.岩が屹立していた。
明治40年測量部はハーケンなどの無い時代厳冬期を選び雪を利用して登った事になっている。
旨く考えたものである。 明治政府が国家事業の一つとして取り組み.

登頂の証明が出来るように準備までして.やっと登頂したら修行僧が使う錫杖がおいてあったという。
登山靴やピッケルに近い装備.服装もザックもはるかに進んだ明治の数百年も前に..おそらく
単独で.草鞋を履いて登った人はどんな超人でどんな意志をもった人だったのだろう。

興味深深であった。 以前来た時は観光でいわゆる黒部アルペンルートでロープウエイとバスを
乗り継いで黒部ダムまでいった。別の時には反対側の宇奈月温泉よりトロッコ列車で終点の
欅平まで行き.温泉につかったことがある。まさに深山幽谷の世界で何度でも来たいと思った。
その時の感動を少し記したい。 黒部峡谷鉄道である。

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ダムを作る為とはいえ.とんでもなく急峻な渓谷に鉄道を通した昭和12年当時の技術と電源開発
の意志には驚嘆せざるを得ない..。スイスでも名峰ユングフラウの真下までトンネルを掘り鉄道を
通して観光客を3500メートルの地点まで運んではいるが.共に人間の凄さを感じさせる。

当然このトロッコは資材や道具を運ぶ為に通したものであって.人を安全に運ぶには適して
いなかったが余りにも探勝を希望する人が絶えない為.やむを得ず生命の保証をしないことを
前提に便乗の取り扱いであったという。

黒部峡谷鉄道は経験に値するトロッコだった。 さすがに凄い人気で 平日というのに
行列してやっと乗れた位であった。その上帰りの予約をしなければ何時帰れるか分からないと
駅員に言われた。 ビッシリと満員で自然探勝の気分が少しばかり削がれた気分で座った。

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そんな気持ちは動き出したら数分で吹き飛んでしまった。 まず渓谷の美しさ.木々の緑に目を
奪われ隣の知らない人々と接近したストレスを忘れる。 と言うより人々との共通の感動の中で
良きアドレナリンによる陶酔であったかも知れない。

黒部川の清流はあくまでも透明で渓谷の深さは立っていれば竦みそうであった。
自分が現場監督であればこんな場所に鉄道など決して通せなかったであろうなどと考えたりした。
カーブの連続でゆっくり進むトロッコは次々に乗客の驚嘆の声を誘い出す。

普段であれば恐怖で目をつぶったり手で顔を覆ってしまう様に見える人でさえ.周囲の感動に共感
して大喜びしている。 途中には駅が合計三つある.いずれも深山の急斜面に駅があり.こんな所に
誰が何の理由で住んでいるのか不思議であった。後で知ったが鉄道建設時の中継地として

使っていたところ.工事の人々の飯場が段々発展し温泉旅館になったと思われる。
これ程めったにない秘境で大勢の人々に自然の恵みを提供している事に感動を覚えた。
いずれ全ての温泉に泊まる事を決意する。

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一時間十五分の感動のトロッコの旅は欅平で終わる。帰りの予約まで二時間あり温泉をめざす。
予想通り秘境の湯は裸になる面倒を補って余るものがある。 周囲を探索し川遊びでのんびり。
量子は泊まりたい.何時までも居たいと言う。 正真正銘の秘境でさぞかし不便と思う。

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不便を忍ばなくてはこのような天国には住めない.ましてや旅館経営となれば阿蘇でレストラン経営
経験ある身としてその苦労が身にしみる。だから余計に泊まってみたいのだ。
ああ考えただけで深山幽谷の清涼な空気が思い出される。

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立山から話が始まるはずが反対側の宇奈月方面に飛んでしまっていた。 立山駅からスタートする。
ロープウエイ.バス.ケーブルカーそしてバスと乗り継いで立山駅から2450メートルの室堂まで行く。
途中に美女平.ブナ平.弥陀ヶ原という高原があり寄ってみたかったが剱岳への想いでカットした。

その代わり日本一の落差(350メートル)の称名の滝の真下まで行ってきた。お経の様に聞こえる
と言われているが信心の無い身には只の滝の音であった。此の滝は数段に別れてはいるが.
さすがに大きすぎて那智の滝や華厳の滝のような一本の水流での趣とは少し違って見えた。

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五月のゴールデンウイークに来た時は二十メートルの雪の回廊が開通しておらず半日位待たされた
記憶がある。 剱岳アタックは当然夏の事。室堂平と云われるだけあって起伏の少ない広大な高原
がひろがる。池やお花畑など退屈することが無い楽しい所。 立山三山まで500メートルの標高差。

室堂平は実に眺めが良い.楽しい嬉しい。 昔から信仰の対象として大勢の人々が登ってきた。
3000メートルの高山にしては困難なルートは無い。時間さえ掛ければ比較的登り易い山である。
雄山.浄土山.別山の山容が丸々見える開放的で明るいベースキャンプが室堂なのだ。

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量子は此処も気に入っていて. ホテル立山に泊まりたがる。 此処だったら何日でも飽きない。
但し懐と相談しながらであるが。

立山三山は立山連峰と言われこのあたりの山々の中心といっても間違いないであろう。
昨日は立山駅付近に泊まっていたので室堂の散策もそこそこに雄山.浄土山.別山の三山を越え
剱岳荘(けんざんそう)まで行くことにする。どのピークだったか忘れたが水を満々と湛えた
黒四ダムがはるか下方に見えた。

3000メートルのピークから真下にダムが見えると言う事はこの付近の山がいかに急峻な勾配で
出来ているかを物語っており.それが黒部周辺の秘境を示している。
秘境であっても3000メートル付近の眺めは素晴らしいもので剱岳をはじめ周りの名山をほとんど

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見渡すことが出来る。特に室堂方面の高原地帯の広がりは心がのびのびする。
剱岳荘は立山と剱岳の間に位置しており.剱岳に近く特徴は水が豊富な事。と言うことは
風呂に入れるという事。 ヤッター。  高い山で風呂に入れることは中々無いことでとても嬉しい。

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こんな時の量子の喜び様は尋常でなく.大騒ぎでこちらまで楽しく嬉しくなる。
明日の岩登りを想像して緊張しながらも楽しみたい。小屋の人が明日は三時半~四時に起床を
薦める.珍しいことだ. 自己責任が原則の山でリードされたのは初めてであった。

三時半起床。 いよいよ憧れの剱岳山頂を目指すぞ。 真っ暗の中ヘッドランプを着けて外へ出る。
宿泊者全員が同時に出発という感じを受けた位.皆で行列を作ったように歩き始める。
これなら道に迷う事はあり得ないと思う. 2~3時間して明るくなり始めたころには.かなり高度が

上がっておりピークらしきものが見えてきた。 こんなに楽なはずは無いと思いながら登る。
勾配の急なガレ場を時々手を着きながら進む. 量子に上を見ながら行くように声を掛ける。
大勢の先行者がそれも自分達位の中高年の人々がガレ場を行く. このことが最大の恐怖であった。

落石の事である. 手を着くような急勾配で自由に動けない所。こんな所で落石に遭ったら.
と思って背筋が寒くなった。勿論ヘルメットなど用意しているはずも無く.とても心配しながら
約二十分の恐怖区間を無事通過した。 こんな時は疲れを感じる事がない.心配が先に立つから

である。南アルプスの北岳に行った時.数え切れぬ程の花が咲き誇っており.ハードな行程にも
拘わらず案外走破出来た記憶がある。 人生も同じような事を云う人がいる.嬉しく楽しく過ごせば
人生は あっと言う間だと。 織田信長.豊臣秀吉の辞世の句がそうである。

人生五十年 下天のうちを くらぶれば 夢幻の如くなり
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことは 夢のまた夢
やっとピークらしき所にでる. 正面に見た事もない様な岩の殿堂が聳えている。本当にビックリした。
初めて感じられる岩で出来た剱岳の迫力であった。 穂高でも槍ヶ岳でも感じた事のない圧倒的
で凄い感動が湧いてきた。 ここが前剣と言う前座の山で.ここから有名なカニのタテバイがある.

 

前剣を少し過ぎた何の変哲も無い所に差し掛かった時.後ろでキャーッという女性の叫び声がした。
振り返った瞬間すぐ後ろの女性の膝から下が逆さまになって落ちていくのが見えた。木々の間で
あったし岩の殿堂の手前でよかった. おおーいと声を掛けると大丈夫との返事があった。

余り下まで落ちては居ないようだ. ともかく良かった.クサリ場で量子とつなぐ為に持ってきた
ロープを投げたところ暫くしてその女性が木につかまりながら自力で登って来た。ケガは無かった。
岩場の少し手前のホッとする場所だったからかも知れない。

(九十九里をもって道半ばとする) 緊張が解けたところで油断が生まれる古典の教えだ。
その証拠に最も危険なカニのタテバイでは滅多なことは起きない. 一つ間違えれば二百メートル
は間違いなくストーンと落ちていく様な絶壁が見えているので.誰もが最大の緊張を持って臨む。

草鞋3000足を費やしても登れなかったとの話を思い出す.確かに凄い絶壁である。
古来 我こそはの健脚自慢の人々が大勢挑みながらも果たせず.断念した経験からこの様な
伝説が生まれたのであろう。

今ではクサリ.ボルト.ロープのお陰で絶壁の下を見ないようにすれば殆どの人は登れるであろう。
とは言え日本有数の困難な山を制したとなれば.かなりの自信につながりどんな山でも挑戦できる
と思う。

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2999メートルの山頂は素晴らしい眺めであった。 富山湾の形が見え能登半島の輪島辺りまで
見えて感動のひと時だった。 山頂での二人の写真があるがこころなしかへっぴり腰で写っている。
それにしても今更ながら量子がよく登ったものと感心する。

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凄い山に登ったにしてはまだ午前十時前 下山が始まる. さあ今度はカニのヨコバイだ。
カニのように岩にヘバリ付いて移動することからこんな名前が付いている。 この危険なルート
だけ上りと下りが分かれている。 下りの為足元が見えない.腕の力の弱い量子には怖かった様

で私も緊張した。おまけに足が短いのか下のボルトに足が届かずハラハラした。
此処までが記憶に残る楽しい思い出であり.剣山荘へは思いのほか早く戻ってしまった。
まだ昼前 今日はこの小屋にもう一泊の予定であったが.温泉に入ろうと急遽計画変更して

室堂へ向かう。 今日はみくりが池温泉に泊まってゆっくり温泉だ。お陰で心残りの室堂平も散策
出来る。2400メートルのリゾート地で最高地の温泉を楽しんだ。

この近くには後立山連峰がありその先には名峰白馬岳が連なっている。
とにかく清涼な空気が美味しい。 山川草木 全てが輝いている。
観光とは 光を観ると書く 輝くものを見たい.輝く人々と共感したいと言うのが人の心ではないか。

都会を輝いていると思う人.この自然を輝いていると思う人.それぞれであろう. しかし.
地球環境を考えた時.このまま都会的発展を目指したら数十年で快適な自然は無くなるであろう
と専門家の声が聞こえて来る。

こんなマスコミ的な知ったかぶりを言うと一方で孫の世代までの事は知らん.後進国の経済成長
を見たら行くところまで行くしかない。との声

世の流れを変えたり止めたり出来ない我としてはせめて美しき所を味わっておこうと思う。

2013/07/30   IN熊本