徒然なるままに

(2013/8/1)   つれづれなるままに

7月でさくらカードを頂いた。 同時に健康保険証に一割負担と書いてある。 それなのに
テレビを見ていたら (70歳の高齢者がバックをしようとして事故を~~~~~)それを見ていた
自分が あ~あ年寄はあぶないな~ と呟いていた。 自分にその認識は無い。絶対無い。

十年前の還暦の時 (村の~渡しの船頭さんは~今年~60のお~じいさん~歳をとっても~ )
この唱が初めてこたえた記憶がある。
今度は古希ときた。 何千年も前から全ての先輩方が通り過ぎて来た道である。 なにを今更か

若いころ色々悩み.迷っている頃.早く歳をとりたいと思っていた。老境に差し掛かっている先輩方
が何事があっても悠然と構え落ち着いているのを羨ましく思っていたからである。
今思うと.何ということは無かった. ただ反応が鈍くなっただけであった。

それはお前だけのことで他の人は深謀遠慮が進み人間が立派になり大人に成っているよ。との
声が聞こえて来そうだ。 本当にそうだろうか. 周りを見渡して安心している。同輩は皆同じで
あった。 こんな謙遜が上手になったことは歳をとった証拠でイヤラシイ。

確かに理屈の捏ねくり方は上手になったと思う。 周りの同輩のなかにそんな人がチラホラいる。
中でも最も耳障りなのが自己承認型で 俺は間違っていなかった.正しかったと済んだ事や当方
の知らない事に賛同を求めてくる。 ソロソロ痴呆症の始まりでは と勘ぐりたくなる。

次に多いのが同じ話を何度もしてしまう何度型(難度型)。 いずれも話し相手としてはお断りしたい。
孫を見ていると此方の足が弱った分だけ孫が丈夫になり忘れっぽくなった分だけ敵は何でも
覚えていて.それは前に聞いたとうそぶく始末。

それでもこんな事を客観的に反省に近い形で受け取れる内は まだ正常な証拠か。
アブナイ.アブナイこうやって他人に承認を求めだしている。そろそろかな?
此処までは年寄りの卑劣なところで一応自分を卑下してみせる。 おぬし中々やるではないか。

とは 云ってくれるな御同輩よ。  私も人の子やっぱり自己承認がしたいのだ。 わかっとるネ。
こんな駄文を書く事でとっくに白状している。 しかし老兵は死なずそして.黙って消え去らないぞ。

そんな訳で I T の時代に取り残され.早すぎる変化に翻弄され.アナログで蓄えてきた経験.
知識が役に立たず 腹立たしい思いをしている御同輩達よ. このままでは イカンゼヨ。
お勉強が良く出来.学歴最高の民主党の諸君の情けないザマを見たばかりではないか。

若ければ良いのか。 NO だ。育ちが良ければ良いのか。 NO だ。  しっかりしてくれ
一人一人で自慢をしたり影で批判をするのはもうやめよう。 以前の精気を取り戻そうではないか。
堂々と昔の経験.知識.知恵で若者達に模範を示そう。

えらくヒートしてしまったが大丈夫かな? 落ち着いて 落ち着いて そもそも老化したあげく古希
とやらの称号を頂いたのであった。 こうして元に戻れるのが年配者の優れたところ。
こうした戻るという配慮が出来なかったのが民主党エリートの諸君であった。

こういう特徴を生かすのがシニアの務めであろう。
運動能力は確実に劣ってきた。記憶力.感動する力.共感力.全て弱っている。どうしよう
この辺で失った物ばかり数えるのはよそう。 そして残った物を捜そうではないか。

昔 座禅修行の真似事をした。その後も高僧.学者その他の人々から沢山良い事を教えて頂いた
が全て忘れた。 只 相田みつを師のことばを除いて。
(禅の修業は一つ一つ何かを身に付けていくのではなく.一つ一つ捨てていくことである)

もう一人中村天風先生の言葉が印象深い。
(皆 難しい顔して座わっているが.ケツ が痛くなっただけの奴がほとんどだヨ)

こうして諦観だけが研ぎ澄まされれば少しは悟りに近くなった様に錯覚するが.それは錯覚であり
悟らない方が良いと85歳の寺の住職が言う。 悟ると生きる楽しさがなくなると諭してくれる。
暑い寒い.嬉しい悲しい.好き嫌い.旨いまずいの中に生きる喜びや実感があると言う。

ウーーン そうかも しれない

元に戻ろう。 そうと成れば年配者が苦労して蓄積してきたものを下手に取り出さず.涼しい顔
をして何も知りません.何も経験していませんという態度で 今.今の現象を唯.唯.素直に
味わって生きるのが最善なのか?

此処まできてハッと思い出した。  高野山の大アジャリのことである。
ハワイ自慢で42箇所のゴルフ場を全て廻り.名球会の張本だ衣笠だ.そして王貞治とどうこうした
と自慢話だけを聞かされたあの大アジャリを誤解していた。 とんだ生臭坊主だとおもっていた
あの人は難行苦行三年に及ぶ千日行のお陰でヤッパリ悟っていたのだ。

人生は深い深い謎に包まれている。 古希に達した位で悟ったような顔をしてはイケナイよ。
それでも何か仰りたいことあります?
(理屈は分かった。 だがしかし)

仰りたい事は分かっています。 俺の永年の経験.苦労.努力.実績.輝かしい成果.地位.名声は
一体どうしてくれるのか? でしょう。
それでは聞きますが あなたが現役バリバリの頃 今のような状態の先輩をどう扱って来たか

覚えていますか。 覚えている訳ないでしょうね。多分家族の為と言いながら自分の為に自分
が決めた人生を余り深く考えずに.今日まで来ただけでしょうから。
恐らく判断基準といえば自分で考えた事は無く.テレビで放映された事.新聞に出ていた事

ほんの一握りの周りの友人.知人の情報に限られていたはず。 こんな有様で人様に自分の
人生に賞賛が欲しいといってもそれは余りにも自己中心過ぎではなかろうか。
翻って世の中から認められたい誉められたいという感情は三大本能の次にくる強い欲望で

これだけ豊かになった現代では最大の欲求といっても間違いないであろう。
政治家の失言.学者の逸脱.マスコミの過大表現.経済界の不祥事など全てが人々の個人的な
レベルでの賞賛を欲求する本能から来たもので現代病といっても良いのではないか。

平たく言えば目立ちたい病であり 目立てば金になることから芸能界が女子供達まで巻き込ん
で 目を覆いたくなる様な番組を垂れ流し一方でエラそうなことをいいながらも売り上げの圧力
に逆らえない第一権力者マスコミも現代病に罹っており矛盾の極となっている。

これこそ拝金主義が行き着いた最悪の世紀末現象であろう。
エラそうに世の中批判になってしまったが.個々人の責任は問えないものの古希になった人間の
最低限認識すべきことではないかと思う。それにしても 若い連中と付き合うのは退屈になった。

若い時は感動し.喜んで生きており.学んだ事を.あろうことか我々に自慢する。歩いてきた道を
中学生対象の様ににエラそうな顔をして自慢されるのは悪い事ではないがそれ程刺激のある
経験ではない。退屈はモッタイない。繰り返し聞かされる程ボケてもいないつもりだ。

それでも尚何か仰りたいことあります?  ナイ?井戸端会議の様に無責任でとりとめがなく
結論のでない堂々巡りの様なオシャベリに参加するほど暇では無い?
それでこそ男の中の男です。 O K。 O K。 最後の男になろうではないか。諸君。
(2013/08/20)   I N  熊本